2008年_第1回ヒバクシャ地球一周(第63回ピースボート)

エリトリア・マッサワに出現した「船内」原爆資料館

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船内スペースの一角を使っての交流の様子

 10月5日に行われた3回目の証言・交流は紅海沿いに位置し、アフリカの玄関口ともいえるエリトリア・マッサワ。エリトリアは大国エチオピアから独立して15年という新しい国である。しかし今もエチオピアとの国境紛争が絶えず、不安定な社会情勢にある。
エリトリアでの交流相手は、NUEYS(エリトリア青年連盟)という団体の高校生を中心とする30名のメンバー。また今回の交流場所はピースボートの船内に決定。相手の人数が限られているため、船内に招いて、写真や当時の衣類など被爆関連の資料を見てもらい、被爆証言を行うという形式を採った。当日の朝からヒバクシャ自らが展示物を設置したスペースはさながら船内原爆資料館という様相を呈した。
マッサワ港に着岸後、間もなく30名の青年たちが船内会場に到着。すぐに挨拶を交わして英語による交流がはじまった。もちろんすべてのヒバクシャが流暢な英語を話せるわけでなく、また通訳スタッフの数が限られていたこともあり、この日のために特訓した英語を駆使してのコミュニケーションになったが、大きな混乱もなく約1時間の交流は無事終了。

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英語を使って原爆資料の説明をする迫青樹さん

 交流に参加した15歳の少女、ハバネスファナスさんは「核爆弾によって国が破壊されたのはとても悲しいこと。でも、友達に今はすごく発展したと聞き、すばらしいことだと思いました。展示もとてもよかったです」とコメントしてくれた。

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「とても新鮮でした」と交流した感想を話すハバネスファナスさん

 青年たちが下船した後、同じく乗船したファナ・テスファマリアン・マッサワ市長が平和を求める挨拶をし、平和市長会議への加盟申請書類に署名。続いて、独立戦争時に起きた1990年のマッサワ大空襲を伝える当時のニュース映像が流された後、被災したマッサワの青年が自らの体験を語った。

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マッサワ市長(右)が署名した平和市長会議の書類を掲げる川崎哲ピースボート共同代表

 船内での手作り交流を振り返って、「拙いながらも英語で伝えることで、一気に距離感が縮まった。資料もたくさん見てもらえたので、船内での交流は大成功だったと思う。あとは彼らが周りの人たちに伝えることによる波及効果を期待しています」という迫青樹さんのコメントを代表するように、ヒバクシャの中から満足する声が多く聞かれた。

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