2008年_第1回ヒバクシャ地球一周(第63回ピースボート)

水先案内人サンホ・ツリーさんが語る「原爆投下の真実に迫る」

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ヒバクシャを前にしての原爆についての講演は、はじめてというサンホ・ツリーさん

10月25日、トルーマン米大統領がなぜ原爆投下の決断をしたのかを検証するというテーマで、水先案内人を務めるサンホ・ツリーさんによる講演が船内で行われた。サンホさんはアメリカのシンクタンク「
政策科学研究所」の研究員であり、『原爆投下決断の内幕ー悲劇のヒロシマ・ナガサキ』という本の共著者に名前を連ねる歴史研究家でもある。

 講演内容は、原爆投下は戦争終結に必要ではなかったのか?という観点からであり、終結させるために重要な意味を持つ4つのポイントについて詳しく解説した。その4つとは、1945年の日本の軍事・経済状況が悪化の一途を辿っていたこと、アメリカによる暗号傍受で日本の機密情報が筒抜けだったということ、ヤルタ会談で密約されたドイツ降伏後90日以内にソ連が参戦するということ、そして天皇の地位を保証すれば日本が無条件降伏を受け入れる用意があるということ、である。

 すなわち戦争終結のために原爆投下はずしも必要ではなく、当時のトルーマン大統領とその側近たちが、アメリカが戦争終結後の世界情勢を優位に展開するために行ったことであり、つまり第二次世界大戦の終わりではなく、冷戦のはじまりだったと結論づけた。また、20億ドルもの巨費を投じて開発したため、戦争終結のためという大義名分の下に原爆を使用しなければ、国民の非難を受けると彼らが考えたことも一因である。その結果、今やアメリカでは多くのアメリカ兵の命を救ったのは、原爆が使われたおかげというのが定説になっている、と論じた。

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原爆は戦争終結のためではなく、冷戦の道具として使用された

 最後にアメリカの著名な作家・詩人であるマヤ・アンジェロウの以下の詩を紹介して講演は終了したが、これはビル・クリントン大統領が就任した時に発表されたもので、前述した『原爆投下決断の内幕ー悲劇のヒロシマ・ナガサキ』のエピローグにも引用されたほど、サンホさんもお気に入りの言葉だという。

“History, despite its wrenching pain, cannot be unlived, however, if faced with courage, need not be lived again.” -Maya Angelou-

「悲惨な過去の歴史は取り戻すことはできない。しかし勇気を持って立ち向かえば再び繰り返されることはない」 -マヤ・アンジェロウ-


 翌26日は、サンホさんへの質疑応答の時間を設けたが、前日の内容を受ける形で、サンホさんがヒバクシャに「原爆投下から63年経ったが、その間でどう心境が変わってきたか?」と問いかけた。それに応じた鳥居宏さんは「被爆当時は軍国少年だったため、アメリカ憎しという気持ち一辺倒だったが、終戦後に価値観が変わり、時が経つにつれその気持ちがだんだん薄れていった」と語った。
また中西巌さんは、広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた『過ちは繰返しませぬから』という文章には主語がないが、当初は我々日本人が戦争を起こさないということを意味していた。それが今では世界中で核を使用しないという認識に変化していると話すなど、合計4名のヒバクシャがそれぞれ発言した。
最後にサンホさんが「普段どんないい人であっても、人が変わったように平気で殺人を犯してしまう。それが戦争の本質だ」と、締めくくった。

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水先案内人のサポートボランティア、通称水パとして進行役を務めるヒバクシャの田中稔子さん

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