2008年_第1回ヒバクシャ地球一周(第63回ピースボート)

おりづるメンバーがピースボートセンターさいたま&とうきょうへ来訪されました!

**** 10月24日(土)ピースボートセンターさいたま、翌25日(日)にはピースボートセンターとうきょうに、竹内康三さん、池田昭さん、田中稔子さん、磯博夫さん、そして広島ピースボランティアの橘光生さん、Yes!キャンペーン事務局長の安彦恵理香さんが来訪されました。 ****

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

※ピースボートセンターさいたまで証言と核廃絶へ向け語っていただいた、竹内康三さん。

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竹内さんは14歳(中学2年生)のとき広島で被爆されました。
当時住んでいた広島県五日市の実家から観音町にある学校に通い、実家には週末だけ帰る生活をしていました。投下された8月6日は月曜日でしたので、普通なら観音町の学校に行く日でしたがその日に限って、担任の先生の引越の手伝いをするため、実家にいたんです。そのとき原爆が投下されました。
家は崩れてしまいましたが、幸いにもやけどもケガも受けなくて済んだのは、被爆体験をした方でも珍しいそうです。

そのあと、流川町に住んでいた父親を捜しに爆心地へ向かう途中、黒こげになった死体、お腹から出てしまっている腸を押さえながら靜に歩いてくる人を目にしました。後に父は広島駅近くの東練兵場へ逃げていたことがわかり、会うことができましたが、この時初めてこの壮絶な光景を目のあたりにしたんです。

竹内さんは、証言の最後にこう語りました。
「一発の爆弾でこんなにもひどい状態にした、アメリカが憎いという気持ちはあります。
人間として、アメリカ人の陽気さは好きではあるが、アメリカという国はこれからも許せないのです。」

その上で、
「戦争をなくすのは難しいし、相手より強い武器を持ち、使いたくなるのが人間の業というものです。
核兵器もそうで、あれば使いたくなる。だからこそ核兵器を使わない世界をつくるためにできることを考えないとならないのです。」と。

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$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

普段は広島県の平和資料館で原爆についてガイドされている橘光生さんは、「なぜ広島・長崎に原爆が投下されたのか」をアメリカの思惑、当時の状況をふまえて解説いただきました。

「被害のこと、どうやって落とされたのかを知ると、被害の大きさ、そして戦争の愚かさがわかります。
この原爆をつくったのも、使ったのも、その被害にあったのも、未だに苦しんでいるのも同じ人間です。
だからこれをなくすのも人なんです。」

その言葉を真剣に聞きいてたみなさんの姿勢も印象的でした。

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イベントに参加してくれたボランティアスタッフに感想を聞きました。

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海-エナリ&キング

☆(向かって右)☆スガノマサエツさん(26歳) 埼玉県川口市在住
もともとこういう平和について興味はありましたが、実際に被爆された方の話を聞くのは初めてでした。今日の話で印象に残っているのは、竹内さんが核兵器を持つことはダメ。
でも戦争は起こりうる仕方がないことだと話してたことです。うーん。今は複雑な気持ちです。
今まで、小・中・高で広島・長崎の原爆については授業で深く扱わなかったし、触れる程度しかなかったので、地球一周したあと、広島へ行きたいと思いました。
それと「Yes!キャンペーン」の活動を聞いて、国や県を自分で動かせるとは考えにくいけど、自分が住んでいる市にだったら何かできそうな気がしました。おもしろそうな取り組みですよね。

☆(向かって左)アオキアサカさん(25歳) 埼玉県小川町在住
実は、ピースボートセンターに来て、2週間しか経っていないで、このイベントに参加したんです。
被爆体験された方の話を聞くのは私もはじめてでした。学校で深く勉強したという記憶もなく、きっと教科書の数ページを触れただけだったと思います。
それよりも覚えているのは保育園に通っていた時のお迎えを待っている時間、普通はアンパンマンとか見せるじゃないですか。そのときは「はだしのゲン」のアニメを見せられたのを覚えてるんです。
髪が放射能のせいで抜けたり、アニメだけどすごく怖かったんですね。今は、原爆や放射能についても知る機会は増えてきたから、その事実を受け入れられるけど、当時は子どもながらに怖かった記憶は覚えています。
Yes!キャンペーンもそうだし、ピースボートに来てからいろんな問題に取り組む同い年の人たちに会って、自分にも何かできる可能性みたいなものを感じました。これから地球一周もしてみたいし、前から関心がある途上国の貧困や格差についても知れたらと思っています。

href=”http://stat.ameba.jp/user_images/20091026/18/hibakushaglobal/ce/02/j/o0640048010287497520.jpg”>$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

※聞きに来てくれたみなさんと竹内さんを囲んで記念撮影をしました!
ありがとうございました。

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25日にピースボートセンターとうきょうで証言をされた、池田昭さんは長崎で、田中稔子さんは広島で被爆されました。

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

池田さんは、ご自身が証言することを「単に被爆体験を想い出話として話すのではなく、自分の体験を語ることが、平和につながると思い、活動をしている」と言われました。また、今世界にある核兵器の数を想像するデモンストレーションを実演。核爆弾と見立てた小石1つを1発として、容器に25000発を落としていくのですが、この音が本当に長く感じま
した。こんなにも世界は核をもっているんだと、怖くなります。

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$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

田中さんが被爆されたのは、小学校1年生の時。投下されたとき、牛田という場所にいました。爆心地の近くです。あまりのまぶしさに腕で目を隠した際、腕と首と頭にやけどを負ってしまいました。田中さんはその体験は周りに語らずに長年来られたそうです。その後20歳からデザインの道へ進み、これまで多くの七宝焼きの作品をつくられてきました。これまで作品の中にも、被爆体験から平和を伝えるメッセージを隠して入れて来られたとか。しかし、語れる時間は限られていることに気づき、50年たった時、原爆をテーマにした作品を製作し、表現をしようと決意されたそうです。

ピースボートの旅でも、船内だけでなくエクアドルやベネズエラで積極的に証言活動をされてきました。「外国でこんなに一生懸命聞いてくれるとは思わなかった」と現地での反応を話してくれました。

そんな田中さんにとってピースボートは、これまで語ってこなかったヒバクシャが語り始めた、まさに「ピースボートマジック」が起こった旅だったと言います。

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

※着物をほどいて作り直した当時の上着。

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

※原爆投下によって亡くなった中学生が持っていたカバン。

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26日より東京都内26自治体を訪問し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」採択へ向けた賛同署名を募るキャラバンが始まります。

「自分の足が動ける今、世界が核をなくす方に向かっている今動かないでいつ動く!!」
その思いで、八木さんとともに、このキャラバンキャンペーンをスタートした磯博夫さんも合流しにぎやかなキャラバンとなりそうです。

$ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海

ちなみに、次回のイベントは、ピースボートセンターおおさかです♪
お近くにいらっしゃる方、ぜひ足をお運び下さい。
□ 11月23日(祝・月)14:00~

(文責:森田安里)

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