1.ヒバクシャ証言の航海

ラ・デパチェ・デ・タヒチ 2011年2月7日

ラ・デパチェ・デ・タヒチ
http://www.ladepeche.pf/article/societe/moruroa-e-tatou-releve-assuree
2011年2月7日

週末ピースボートがパペーテに寄港しました。テバ・デゥームさん、ヘイアバ・レノアールさん、アラン・グディングさんとレジス・グディンングさんはポリネシア人を代表して、第4回 ピースボート「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加しました。4人の若いタヒチ人活動家とモムロア・ファンガタウファ環礁の核実験場の元作業員は、土曜日の朝に広島訪問を含めた2週間の日本への旅を終えました。パペーテにピースボートが寄港中、モルロア・エ・タトゥ(モルロアと私たち、MET)の元メンバーは日本の学生と核問題について意見を交換する機会がありました。彼らの目標は、フランスのポリネシアの被爆者や核実験による被害者の戦いが高齢者の世代で終わってしまうのを避けることです。ジョン・デゥームの孫であるテバ・デゥームがその例です。1945年に原子爆弾が投下された広島と長崎の生存者(被爆者)の体験談を聞くことは、タヒチの若者にとって貴重で、生涯忘れることのない経験となるでしょう。その中で75歳の末永浩(すえながひろし)さんは土曜日のオスカー・テマルも参加するポリネシア議会に彼の体験談を話しました。話を聞いたり、写真を見たりすることで、ポリネシアの若い世代は上の世代が行っている活動を続け、末永さんの「2つの解決策しかありません。原爆が人類を破壊するか、それとも人類が原爆を破壊するか。」というメッセージに賛同する勇気を得ました。

あなたは日本滞在中、またピースボートの船内で何をしましたか?

私たちは東京と長崎で会議を開き、日本の若い学生と関係を築きました。多くの方に来てもらえるとは思っていませんでしたが、日本の人はタヒチで核の問題がどのように扱われているのかに興味を持っていました。私たちは、自分たちの経験を話してきました。

この航海は広島、長崎の博物館を含めて3週間続きました。どのような印象を受けましたか?

特に印象的だったのは博物館でした。何が起きたのかを知る(信じる)ためには見るべきものです。あふれる感情、映像や画像、そして被爆者による話。私たちはたくさんの話を聞きました。また賠償金を受けるための過程にいる2世や3世の人々からも話を聞き、良い関係を結びました。

私たちは今日あなたが祖父であるジョン・ドゥーンの核反対運動を後継したと公式に言ってもいいですか?

彼の仕事を続けるということですか?そ、そうですね。そう言ってもいいと思います。

あなたの孫が後を継ぐ姿を見て、どう感じられますか?

私の人生で最も素晴らしい日の1日です!自分の孫が祖父の足跡をたどるなんて本当に素晴らしいことです。この国の若者が立ち上がり、動き始めた活動を続けていく時が来たのです。

彼はあなたに体験したことを話しましたか?

彼は毎日私にEメールを送ってくれました。彼はたくさんの物事を見てきました。被爆者の話を伺って、本当に感動したようです。広島と長崎の博物館で見た恐ろしさをすぐに忘れることはないでしょう。

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