3.核廃絶へのいろいろな動き

イベント報告「ヒバクシャはもう増やさない~広島・長崎の被爆者の想いを今再び」から

6月5日の日曜日、東京のJICA地球ひろばにて、核兵器や原発について考えるイベントが開催されました。第一部がドキュメンタリー映画2本の上映、そして第二部がそれぞれの映画の関係者による、トーク・ディスカッションと質疑応答で構成されたこの催しには60人ほどが来場し、中には若い人も多く見られました。

最初の映画『二重被爆』は、広島と長崎の両市で被曝した山口つとむさんの証言を中心に構成された記録映画です。山口さんは長崎の出身ですが、1945年8月6日には出張のため広島にいました。爆心地から3キロ地点で被曝し、左半身に大火傷を負いましたが、長崎の家族のことを思いながら避難列車に乗り、3日後故郷に到着してすぐ、再び原爆に襲われたのです。

製作した稲塚秀孝さんによると、山口さんは放射線の影響で様々な疾病に苦しめられながらも、自身の被曝体験についてはあまり語ろうとしなかったそうです。それが2005年に長男を亡くしたことを機に、「自分は語るために生かされている」と感じて証言活動を始めました。

体調は万全でなかったものの意志の強い人で、90歳でパスポートを取り、アメリカまで証言に行ったのだそうです。2006年にはニューヨークの国連で講演をしたり、地元の高校生の前で証言をしたり、また、ベトナムの枯葉剤被害者が長崎を訪問した時にも交流したそうです。

平和利用であれ、武器のためであれ、「核は技術的にも倫理的にも問題がある」と語った山口さんから、稲塚さんは大きな遺言を受け取った気がしました。4月に『二重被爆』上映のためロサンゼルスへ行った時、「日本人のあなたより私達のほうがフクシマの状況を良く知ってる」と言われ、(日本の)メディアは真実を伝えていないように思えたので、自分の足で福島へ行き取材することにしたとのこと。現在、福島に通って取材を続けており、来年には3.11の映画を作るつもりだそうです。

続く2本目は皆さんもご存知の『フラッシュ・オブ・ホープ』。13歳の時広島で被爆し、後にカナダへ移住したサーロー・節子さんを軸に、ピースボートで地球一周しながら各国で証言活動をするヒバクシャ達を追ったドキュメンタリーです。

この映画の中で、節子さんは「怒りは必ずしも悪いものではない。この怒りを、現状を変えるためのポジティブなエネルギーにすればいいのだ」という趣旨のコメントをしますが、これに大きくうなずいた方も多いのではないでしょうか。質疑応答の際には、節子さんに励まされたという感想もありました。

アニメーションや各国の専門家のコメントが随所にちりばめられ、核兵器も原発も同じ核サイクルの一環を成すことが分かり易く説明されているこの映画は、まさに福島の原発事故が収束を見ず、新しいヒバクシャを作り出している今こそ、より多くの人に見てもらいたい一本だと言えるでしょう。

製作者の川崎哲さんによると、日本では従来、原発と核兵器は別々の問題として語られてきましたが、世界では、原子力産業は原発と核の両方を含む1つの問題として捉えられています。フクシマ後、航海中のヒバクシャ達は幾度となく「なぜ、日本は唯一の被爆国なのに原発があるのか」という問いを浴びせられました。

これからはヒロシマ・ナガサキのことを語るとき、フクシマのことも同時に語ることが出来なければ、世界の人は耳を傾けてくれないだろう、と川崎さん。ドイツ・スイス・イタリアなどはフクシマの事故後、即座に脱原発へと方向転換しましたが、日本は何事にも慎重で社会的変化が非常に遅いとのことです。

また、日本国内でも地域ごとに雰囲気が違うのだそうです。地方では東京の1万人集会よりも、地元の小さなイベントの方がインパクトが大きいので、小規模でも地元で地道に行動していくことが大切なのだそうです。市民グループはそういった地域発の運動にもっと目を向けるべきだ、と川崎さんは言います。

ヒバクシャのうち語り部になったり平和活動家になったりする人はごくまれで、アクティブに証言活動をする人はほんの一握りにすぎないとのことですが、ピースボートのおりづるプロジェクトに参加したのがきっかけとなり、下船後は学校などで自身の被曝体験を語り始める人も多いそうです。

証言してくれるヒバクシャたちの年齢を考えると、残された時間は残りわずかです。だからこそ、語ること、伝えることが今、ますます大事になってきているのです。稲塚さんも、被爆者たちに出来るだけたくさんの証言の機会を提供していきたいと話しました。

稲塚さんによると、「過去の被曝について学ぼうとする土壌はすでにあるが、その過去をどう現在の被曝(フクシマ)に繋げていくのか」が、これからの日本の平和教育の課題だろうということです。

元中学教師の方から、「政府・メディア・専門家がぐるになって原発を推進してきたように思えるが、これを一体どうすればいいのか?」「なぜ原爆は2回も落とされたのか?」という二つの質問が出ました。

これに対する川崎さんの回答は、「原爆が2回落とされた理由は、アメリカがソ連に対しての優位を見せ付けるため。」それに、やはり巨額をかけて開発したのだから使ってみたい、試したいという狙いがあったとのことです。

ヒバクシャの多くが「戦後、日本の政府は原爆の被害を極力小さく見せようとしてきた」と言うそうですが、それはなぜかというと、日本はアメリカの核の傘に入っているため、核は怖いというイメージを膨らませてしまうと、アメリカに守ってもらえなくなる心配があったからだそうです。

これを乗り越えるには、ヒバクシャの話に耳を傾け、メディアでも積極的に取り上げ報道していく必要がある、というのが川崎さんの答えでした。

最後の方は「質問というより私の意見ですが」と言って、まず実際に省エネを実現し原発は必要ないことを証明する必要がある、と提案。国民は地元の政治家に「あなたは原発についてどう思うか?」と質問し、その答えによってどの候補者に投票するか決めればよい、とのご意見でした。

最後に「今、私達は大きな転換期にいますが、日本では変化が大変遅く、この流れを加速するには行動していかねばならない」と、川崎さんが結びました。

(シュミットひろこ)

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