3.核廃絶へのいろいろな動き

朗読劇「夏の雲は忘れない」を観て

7月5日(火)、神奈川県の鎌倉芸術館で朗読劇「夏の雲は忘れない」が上演されました。お父さんやお母さんが死んでいくのを目の当たりにした子供たちや、子を亡くした親など原爆によって愛する肉親を失った人たちの手記を、6人の女優さんと地元の小中学生6人が朗読しました。

一番印象に残ったのは、ある母親が8月5日の晩に息子と屋根に上り一緒に星空を見上げた話。息子は熱心に星のことを話し続け、そしてポツリと「戦争なんてなければいいのに・・・」と言いましたが、翌朝の原爆で一瞬のうちにこの世から消えてしまったのです。お母さんはどんなにか悔しかったでしょう。それから、苦しみに呻いている人たちが、そばに産気づいた妊婦さんがいることに気付き、自分の苦しみも忘れていたわろうとする場面も語られました。

この朗読劇には効果音や照明も使われ、舞台の後ろには映像が映し出されて大変臨場感のあるものでしたが、そのスクリーンに瓦礫の原が続く原爆投下後のヒロシマ・ナガサキの光景が映し出された時、今回の大地震・大津波で被災した東北の様子と、何と似ていることかと思いました。

映像の中には第二次大戦中、愛国心に燃えて米国海兵隊に志願し従軍カメラマンとして原爆投下後のヒロシマ・ナガサキを含め日本各地を撮影したジョー・オダネルさんの写真もありました。苦しむ日本の人々、特に子供たちを撮り続けながら自分の愛国心が揺らいだといいます。帰国したオダネルさんは、心に焼きついた悪夢のようなイメージを封印しようと、このとき撮った写真をトランクに仕舞い込み、鍵を掛けました。

オダネルさんは戦後20年経って、体調不良のため退職し入退院を繰り返す生活になりましたが、この症状は放射能の影響であると診断され、数え切れないほどの手術や治療を受けたそうです。そしてもう自分の気持ちから目を逸らすのはやめようと決心し、戦後45年経って初めてあのトランクを開けたのです。それ以来2007年に亡くなるまで、日米はもとより世界中で原爆写真展を開いたり講演活動をしてきたのだそうです。

朗読劇「夏の雲は忘れない」のパンフレットには、作家の早坂暁さんのコメントが載っていますが、その一節にこうあります。「ヒロシマ・ナガサキの次にフクシマにピカドンが落ちたんだ。悲しいじゃないか。こともあろうに同じ日本人の手で、3発目のピカドンが落とされ日本人の上に放射能が降りそそがれている!ああ悲しいなあ、日本という国は。今こそ、この悲しみを、怒りに!」私もその通りだと思います。

出来るだけ多くの人に、特に子供たちにこの朗読劇を見に行ってもらえたらと思います。きっと戦争や核がどんなに恐ろしいものか感じ取って、平和を願う大人へと成長してくれると思います。8月まで全国各地で公演されますので、皆さんもお近くの会場へ是非お越しください。各公演地の連絡先はこちらです。
→ http://blog.goo.ne.jp/nathunokai/e/6ae11a06d6b193eda045c4f420ac4d4d

(シュミットひろ子)

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