3.核廃絶へのいろいろな動き

今日の朝日新聞記事「原爆と原発」に!!

$    ピースボートのおりづるプロジェクト-7 22 Asahi Genbaku Genbatsu
本日7月22日の朝日新聞全国版一面に掲載されている「原爆と原発」というタイトルの連載でおりづるプロジェクトが紹介されています!

その中で第4回おりづるプロジェクトでご活躍された被爆者の平井昭三さんと深堀柱さんが登場します。
彼らは3.11の震災発生後、イタリアのナポリでの証言会で「原爆を体験した日本がなぜ原発を作ったのか」と問われたことに悩まれたようです。

今日から始まったこの連載は核兵器と原子力の関係とは何なのか・・・、
被爆経験もあり、今尚福島原発で苦労している日本だからこそ対面しないといけない現状を語っています。

1面の記事が3面に続いています。是非ご購読ください!!
(ハル)

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『原爆と原発』1 「原子力 二つの顔」

今年3月15日、イタリア・ナポリの大学での出来事だった。NGO「ピースボート」の船で寄港した広島と長崎の被爆者たちが被爆体験の証言を終えるや、現地の記者に囲まれた。

「原爆の被害に遭った日本が、なぜあれほど原発を持っているのか」

ヒロシマ・ナガサキを経験した日本のフクシマで原発事故が起きた。その意味を問われた。

広島で被爆した平井昭三(82)は言葉に詰まった。「誠に申し訳ないが、原発について勉強していないので十分に答えられない」。長崎の被爆者、深堀柱(81)は「ノーコメント」を貫いた。ともに精いっぱいの答えだった。

平井は言う。「国が『資源の乏しい日本には必要』と言うのをただ漠然と信じていた」。深堀は「安全神話を疑ったことなどなかった」と振り返る。

悩みはひとり被爆者の問題ではない。

原子力を戦争に使う核兵器は否定するが、「平和利用」としての原子力は受け入れる。こうした使い分けをしながら、日本社会は戦後歩んできた。

「調節しながら破裂させたら、原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるか」

長崎で被爆した放射線科医師永井隆は、1949年に刊行しベストセラーになった「長崎の鐘」で原子力への夢を語っている。

敗戦から復興へ。原子力という新しい科学技術に希望を重ね合わせた日本社会の原風景がそこにあった。

=敬称略(加戸靖史、渡辺洋介)
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(7月22日2011年朝日新聞より)

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