1.ヒバクシャ証言の航海

【報告】10月10日(木)第6回おりづるプロジェクトを終えたヒバクシャが証言の航海を終えました

みなさん、こんにちは。
おりするインターンの鈴木 俊平です。

10月10日(水)に第6回おりづるプロジェクトが約3カ月間の証言の航海を終え、日本に帰港しました。今回の旅では、船内含め世界12ヶ国14都市で証言活動を行いました。「ユース非核特使」として政府から委嘱された瀬戸 麻由(せと まゆ)や広島、長崎に原爆を投下した飛行機に乗っていた米兵の孫、アリ ビーザーも乗船しました。彼らはヒバクシャのサポートをしたり、核が持つ非人道性について世界に訴えかけてきました。

船には、石巻ユースアンバサダーである崎村 周平(さきむら しゅうへい)さんと高橋 さやか(たかはし さやか)さんの乗船し、東日本大震災で被災した自らの経験を伝え、世界で得た経験を持ち帰りました。また、航海を通じて原発災害を伝え、自然エネルギーを学ぶために福島大学ユースプロジェクトの学生も派遣されました。

帰港直後で疲れているにも関わらず、ヒバクシャを含めたおりづるプロジェクト関係者が記者会見へ。
スピーカーとして、ヒバクシャの大村 和子(おおむら かずこ)さん、瀬戸 麻由(せと まゆ)、アリ ビーザー、福島大学ユースプロジェクトの学生、石巻ユースアンバサダーの2人が会見に臨みました。

大村 和子(おおむら かずこ)さん 長崎で被爆 当時17才
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
大村 和子(おおむら かずこ)さん

「世界のいろいろな国をめぐって、核兵器のない世界をつくらなければならいと改めて感じました。この旅の経験をこれからも皆さんと共有していきたいと思っています。私はキプロスとアウシュビッツで証言会をしました。特に印象に残っているのは、アウシュビッツの生存者の方から証言を聞いたことです。本当に涙が出てしまいました。これからは人間同士が争い事をしない世界をつくるためにどうしたらよいか、伝えていきたいと思います」

瀬戸 麻由(せと まゆ)ユース非核特使
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
航海を通じて証言活動などに従事した瀬戸 麻由(せと まゆ)さん

「私は、被爆者の方と若者をどうつなげるかという橋渡しをするつもりで乗っていました。クルーズを通して、被爆者の方と一所に証言会をしたり、紙芝居を作ったり活動をしていく中で、気づいたことがありました。それは、自分にとってのゴールは被爆者の方のメッセージを届けることではないということでした。これから世界で核をなくしていくにはどうしたらいいかを考えるのは、私たちの問題です。だから被爆者の方のお話をしっかりと受け止めて、若い人が自分たち自身で行動していかないといけないと感じました」

アリ ビーザー 原爆を投下した飛行機に乗っていた米兵の孫
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
「核問題は他人事ではない」と訴えたアリ ビーザーさん

「日本と米国は、二世代前までは、戦争をしていました。中でも私のおじいさんは、核時代の始まりに関わりました。でも、米国人である私は日本の船で被爆者とともに船で世界を回り、核兵器も原発もない世界をつくるために行動を共にしました。今回、私が一緒に地球一周をすごした人たちは、単に被爆者ではなく、私の家族になりました。彼らの発言や記録は、私の家族の記録なのです。人生とは何かについて、私は彼らからたくさんのことを学びました。しかし世界にはまだ多くの核兵器があり、手遅れにならないうちになんとかしなければなりません。これは誰か他の人の問題ではなく、私たち一人一人の問題なのです」

佐藤 絢香(さとう あやか)さん 福島ユースプロジェクト
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
旅を通じて自然エネルギーなどについて学んだ佐藤 絢香(さとう あやか)さん

「このクルーズを通して印象に残ったことは、ドイツで自然エネルギーやエコな町づくりを学んだことです。日本でもエコな町づくりができるかもしれないと考えるきっかけになりました。福島大学の学生の中には、原発についての意見が特にないという人もいましたが、クルーズ中に福島の現状を伝えようと真剣に議論してきたことで、明確な意見を持てるようになりました。私は、船で十分に福島のことを発信できたわけではないので、これから福島の現状を学びなおし、地域での行動に結びつけたいと思っています」

崎村 周平(さきむら しゅうへい)さん 石巻ユースアンバサダー
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
被災経験を伝えつづけた崎村 周平(さきむら しゅうへい)さん

「自分は家も流され家族も亡くしました。その後、震災支援やスプレーを使ったアートをしてきました。船では、ありのままの自分を皆さんに見てもらって女川のことや震災のことを伝えようと思い、行動しました。船内では若い人たちとも交流できましたし、寄港地の証言でも親身になって聞いてくれる人が大勢いました。寄港地で一番リアクションが大きかったのはジャマイカです。質問がとても多くて、一方的な証言ではなくてディスカッションのような形になったのが印象的でした。最後の寄港地となった石巻では女川のツアーのアテンドをしました。ツアーが終わった時、「女川にもう一回来るからね」とか、「女川が好きなった」と言ってくれた人もいて、それが船旅の成果の一つだったかなと思っています」

高橋 さやか(たかはし さやか)さん 石巻ユースアンバサダー
$    ピースボートのおりづるプロジェクト
演劇を通じて震災を伝える活動もしている高橋 さやか(たかはし さやか)さん

「私は地元で演劇活動をしていて、石巻の震災をテーマにして演劇にしようという企画もしました。最後の石巻のツアーが終わってから、「あなたがいたから石巻が被災地の一つではなく、大切な友人がいる場所という意識に変わった」と言われました。それは、85日間の旅をともにしていく中で、多くの人たちと「被災地にいる人」という扱いでなくて「大切な友だち」という心の交流ができた上で自分の町を紹介できたからだと思っています。自分がこれから町づくりに関わっていくうえでも、まずは心の交流をしていくことが大事だなと感じました」

今回の航海で得たものはこれからの活動の糧になるはずです。今後も彼らの活躍に注目していきたいです。

(おりづるインターン 鈴木 俊平)

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