3.核廃絶へのいろいろな動き

【11月7日】アウシュヴィッツからヒロシマ・ナガサキへ 

大変興味深いイベントを見つけました。
本来は、高校生に向けた講座のようですが、アウシュヴィッツとヒロシマ、ナガサキを
つなぐ思いはおりづるプロジェクトとも重なると思います。

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アウシュヴィッツからヒロシマ・ナガサキへ
特別展「越境するヒロシマーロベルト・ユンクと原爆の記憶」


日時:2014年11月7日 17時30分から
場所:18号館ホール(詳細はこちら)
講師:石田 勇治
東京大学 大学院総合文化研究科 地域文化研究専攻

【講義概要】
第二次世界大戦中に起きた数多くの凄惨な出来事のなかで、アウシュヴィッツとヒロシマ・ナガサキは特別な位置を占めています。一方はユダヤ人を中心とする特定集団に対する未曾有のジェノサイド(集団殺害)を、他方は都市と住民に対する原子爆弾による徹底した破壊を意味します。史上初の核兵器の使用と「死の工場」の出現―20世紀人類史を特徴づけるこれらの事象の背景にはどのようなことがあったのでしょうか。アウシュヴィッツとヒロシマ・ナガサキをあえてひとつの視野において捉えることから何が見えてくるでしょうか。本講義は、駒場博物館で開催中の展示「越境するヒロシマ―ロベルト・ユンクと原爆の記憶―」に関連して行われます。

http://high-school.c.u-tokyo.ac.jp/lecture_time/2014w/2014w_5.html

そして、講師の石田勇治さんは毎日新聞に以下のように投稿しています。

論点:戦後70年を前に/下 戦争責任に向き合う
◇独の経験、和解に生かせ--石田勇治・東京大大学院教授


石田勇治・東京大大学院教授

同じ第二次世界大戦の敗戦国ながら、欧州連合(EU)で戦勝国と肩を並べてリーダーとして振る舞うようになったドイツほど、日本は積極的に戦争責任を引き受けてこなかった。靖国神社参拝など歴史認識を巡る中国、韓国からの批判は、首脳会談を開けないなど東アジアの緊張につながっている。他国からの批判を不愉快だと反発するのではなく、逆に戦争責任問題に改めて取り組み、国際的な評価を高める最後のチャンスと受け止めるべきではないか。

ドイツも戦後長らく過去の責任を積極的に取る姿勢は示してこなかった。戦後処理の国家間条約で法的な賠償責任はなくなったとする政府の主張は、日本と同じだ。日独の違いは自国の加害責任に対する道義的な向き合い方にある。1990年代に入ると、戦時中の強制労働の補償に関して不買運動にさらされるなど、ドイツは窮地に立たされた。他国からの批判に応え、対話を積み重ねた結果として2000年、政府と企業が資金を折半し、被害者に補償する「記憶・責任・未来」基金を発足させた。もしこの補償基金がなかったら、今のドイツの高い評価は考えられない。

さらに決定的に異なるのは第二次世界大戦に対する規範的な理解の有無だ。ドイツにも戦争を起こしたナチ時代を評価する保守的な見解はあるが、「これは言ってはいけない」という一線がある。裏付けのある歴史研究の成果が共有され、学校でナチ時代に起きたことを詳しく1年かけて教える。旧西ドイツのブラント首相が70年にポーランドのユダヤ人犠牲者記念碑の前でひざまずき、85年にワイツゼッカー大統領が戦争を「無意味だった」と演説した。東西統一後もラウ大統領が99年に「許しを請いたい」と表明するなど、政治指導者が繰り返し反省の姿勢を示してきた。

日本は侵略を認め謝罪した村山談話などがあるが、戦争責任を巡る対外的な発信はドイツと全くレベルが違う。元従軍慰安婦に償い金を支給したアジア女性基金が95年に発足したが、国家事業として行ったドイツの基金に比べ、国の関与があいまいだった。

ユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)のような民族絶滅政策をとらなかったから、ドイツとは責任の重さが違うと考える人が多いのではないか。だが日本はナチ・ドイツも使わなかった非人道的な化学兵器を中国で使用した。旧満州(現中国東北部)で細菌兵器の人体実験を行った日本の731部隊は、ユダヤ人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所と同じように国際社会で残虐視されている。

教育の場で旧日本軍が中国や東南アジアで何をしたか、ほとんど教えていないと思う。日本の世論は自国に都合の悪い史実に触れないで育っている。これでは他国から行き過ぎた批判があっても、きちんと反論できない。自国を美化する甘い歴史認識をもった政治家が増え、国際的に通用しない失言も止まらない。

戦後世代は戦争に対する罪はないが、大戦を主導した国の国民として将来の国際社会への責任がある。自国と異なる被害国の視点を理解することは不可欠だ。新たな基金を設けたり、首相が戦争犯罪の現場を訪問して慰霊したりすることがあってもいい。「いつまで謝罪すればいいのか」との問いは、和解を達成することで自ら終わらせるべきだ。 【聞き手・吉富裕倫】

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