1.ヒバクシャ証言の航海

70年前、トンネルで何があった?~三菱兵器住吉トンネル工場(跡)を見学して~

みなさんこんにちは!
第8回ユース、岩本麻奈未(いわもと まなみ)です。

長崎に訪れた際に、三菱兵器住吉トンネル工場(跡)を見学してきました。

三菱兵器住吉トンネル工場(跡)

このトンネルは一体どんなものなのか?そして見学して知ったこと、感じたことを紹介します。
三菱兵器住吉トンネル工場(跡)とは何か?
説明しますね!

第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の話なんですが、
戦況の悪化に伴って国内への空襲が激化してきた為、軍需工場※の疎開、分散、地下移設などで軍需生産の長期確保と強化を図ることが当時の内閣で決定されました。

(※軍需工場とは:
武器・弾薬をはじめとする軍需品を開発・製造・修理・貯蔵・支給する為の施設 )

その為、私が今回訪れた三菱兵器住吉トンネル工場では、その疎開工場として長崎の<住吉~赤迫>間の山に並列して6本のトンネルを掘り、魚雷部品(航空機用) の製造を行っていたそうです。

魚雷部品の兵器生産にあたった人達の詳細を見てみると、多くは年齢10代、20代くらいだったそうです!
私と同年代くらいの若者が働いていたんですね!驚きです。

そして実は、その中には強制連行された朝鮮人もいて労働を強制されていました。

日本の朝鮮人半島の植民地化以来、韓国・朝鮮の人達は自らの文化・言語・習慣、そして名前すら奪われ「日本人」「日本国民」になるよう皇民化教育を受けたり、強制連行・労働をさせられており、私が今回訪れた三菱兵器住吉トンネル工場でも朝鮮人の方々は強制労働を強いられていたんですね。

1945年8月9日、長崎 原子爆弾投下当時のトンネルの様子はというと・・・
爆心地から約2.3kmに位置しているこのトンネル内での作業者は、辛うじて即死は免がれたものの、多く方々が負傷したそうです。

その一方で、トンネル外にいた人は殆ど強烈な爆風で爆死か重傷を受け、トンネル内は否応なく応急手当ての場所になりました。

そして午後からは、ほかの工場や市民の人々が大勢避難して来て負傷者で大混乱となり、息絶えた人も大勢に出ました。

その犠牲者の中には、日本人だけでなく、朝鮮人労働者の方々も沢山いらっしゃったそうです。
(諸説あるようですが、広島・長崎の両者合わせて被爆した朝鮮人は約7万人以上という事が記されておりました。)

私たち日本人は、朝鮮人被爆者や外国人被爆者の方々の存在を知り、共に手をとりあい核兵器の悲惨さを共に訴えていく必要があると思います。

私にも、第5回目・第7回目の証言の航海で非核特使として証言活動された李 鐘根さんという大切な友人がいます。
私は2014年3月から実施したピースボートのクルーズに一般参加者として乗船し、その船内で李さんに出会いました。

左の緑の帽子の方が 李 鐘根さん

李さんは、15歳の時に広島で被爆した朝鮮人被爆者です。


李 鐘根さん

李さんの被爆証言は、世界各国の国民だけでなく、日本の国民ひとりひとりが再度認識し、考える必要のある内容だと思います。

李さんは被爆以前も、日本人から朝鮮人であるから故に差別を受けていました。

「朝鮮人ちょっとこい!そこに立て!」と言われ、日本人達が指示する場所に立つと、尿をかけられたそうです。

そして被爆後もなお、李さんは日本人の差別に苦しみました。
李さんのお母さんは全身火傷を負ってしまった李さんの体に赤チンをぬりながら、
「早く死ね…、お前が生きていても大変なだけだよ、早く死ね…早く死ね…」と泣きながら言ったそうです。
その時の、お母さんの涙が自分の頬に落ちる感触を今でも忘れる事が出来ず、今でも思い返しては李さんは涙を流し苦しんでいます。

私はとても大切な友人である彼の衝撃的な被爆証言に思わず涙が溢れました。
そして当時、李さんに対して日本人が行った行為を、同じ日本人として何と声をかければいいのか迷いました。
しかし、私は心から彼が今生きていて、私の前に居てくれている事にとても感謝したのです。

しかしその一方で、李さんの証言を聞き「あいつは反日だ!日本のイメージを下げようとする悪い奴だ!」と言う声を挙げる日本人の方も中には居ます。

李さんは被爆以前も被爆後も沢山たくさん日本人の方々に「朝鮮人!」と差別をされ、韓国に帰れば「半分日本人!」と差別され、証言活動するにあたっても戦時下に日本人が朝鮮人にしてしまった事実や過ちを証言出来る貴重な証言者なのに「反日だ!」と言われます。

しかし李さんは、自分に対して非難する方々の悪口を一切口にしません。
日本で住んでいて沢山差別を受けてきたにもかかわらず、日本人の私に対してとても親しく優しく振舞って下さります。

今回、三菱兵器住吉トンネル工場に訪れて私はそんな李さんの勇敢な姿を思い浮かびました。

私達は広島・長崎の原子爆弾の被害者は日本人だけでない、と言うことを再確認し、彼らの声にも耳を傾ける必要があると思います。

おりづるユース特使 岩本麻奈未(いわもと まなみ)

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