1.ヒバクシャ証言の航海

第一次世界大戦を学ぶ in ベルギー

2015年7月25日、第8回おりづるプロジェクトは105日間の証言の航海を終えて、無事に帰国しました。 遅くなってしまいましたが、クルーズ中の寄港地プログラム報告をさせていただきます。

記録ドキュメンタリー映像:『I Was Her Age /過去と今の対話』

2015年5月24日、素敵な街並みと、泉の白鳥。そして何よりベルギーと言えばそう、チョコレート!ということで私たちは、甘いものが好きな人には夢の国であるベルギー、ブルージュへと到着しました。

今回の証言は今までとは違い、シンプルになりそうだと言うことを事前に聞いた堀江壮さんは、挨拶の中に証言を入れたスピーチ。ユースの岩本は、ユースからみた被爆者の声を届けることの重要性を説明するスピーチをしました。

フィリップ・ピエリンス副市長さんはとても素敵な方で、堀江さんのスピーチを聞き終わった後に「当時の状況を理解できました」と伝えてくださいました。そしてユースからのスピーチにも「ちゃんと私たちの心にその思いが届きました」と素敵な言葉を頂きました。

それから副市長は、私たちプロジェクトメンバー一同をブルージュの町へ案内して下さいました。 第一次世界大戦、第二次世界大戦で傷ついた歴史のあるベルギー。その歴史をたどる良い町巡りが出来ました。

ブルージュでの証言会の後、4名の被爆者、1名のユース、映像担当のエマ・バゴット、スタッフの渡辺里香は、ベルギーオーバーランドプログラムに出発しました。(2015年5月24日から27日)

船を離れたのはたったの3日間でしたが、もう何週間も離れたような感覚になるほど濃密な時間を過ごしました。

ブルージュからイーペルに移動した日は、第一次世界大戦の戦没者の方々の慰霊碑や墓地を訪ねました。中央に大きな十字架があり、白い石碑が数えきれないほどが、緑の原っぱに広がっていました。

この場所では土葬で埋葬しています。つまり、私が踏んだあの土の下には、100年前の戦争で亡くなった多くの方が眠っているのです。 石碑には、名前がわかった人のものや、軍服で国籍まではわかった人、もうどこの誰かもわからない人など様々です。

そして、この墓地の壁には、亡くなった方で石碑を立てることが出来なかった戦士の名前が壁中に書かれていました。このような、名前を書かれた石碑は、イーペルの町中至る所に存在します。第一次世界大戦で4年半に渡って、ドイツ軍と連合軍の最前線となって戦いが行われ、一つの場所では書ききれないほど、戦死者が多かったのです。

それを見た時の衝撃と、胸を締め付けられる思いは絶対に忘れることは出来ません。

ここイーペルでは、副市長や平和市長会議に関係のある人々に向けて、廣中正樹さんがスピーチを行いました。自身の体験を含めつつ、第一次世界大戦におけるベルギーについても話しました。

ベルギーのイーペルは第一次世界大戦において、初めて毒ガスが使用された場所です。それは、広島・長崎に世界で初めて原子爆弾が使用された日本と重なる部分があると思いました。 現在、化学兵器は禁止条約が成立されています。 それに習って、私たちも核兵器禁止条約へ向けて動かなければならないと、改めて思いました。

その後は、第一次世界大戦の博物館「イン・フランダース・フィールド博物館」を案内して頂きました。

私たち日本人にとって、第一次世界大戦はあまり身近ではありません。 どちらかというと、原爆が関係している第二次世界大戦のほうが、多く取り上げられます。 なので、第一世界大戦のことを改めて勉強することがすごく新鮮に感じたのと同時に、たくさんの方が亡くなった世界戦争を経験していながら、再び世界大戦を繰り返した人類に深い悲しみを感じました。

そして、イーペルの最後のイベントが、第一次世界大戦の戦没者でお墓のない9万人とも言われる兵士のうち5万人以上の方の名前が書かれているメニンゲートでの式典への参加でした。

今回はおりづるプロジェクトで参加しているということで、特別に副市長とともに献花をさせていただきました。 毒ガスの被害者の子孫などが献花をする中で、日本の被爆者が献花している姿に言葉にならないものが涙となってこみあげてきました。 時空を超えて、場所を超えて、この場所に参加できたことが歴史的なことだと思っています。

最終日、ブリュッセルに移動してからは、市庁舎にて証言会を行いました。 今回の証言者は鎌田弘恵さんです。鎌田さんは証言に加えて、放射線の恐ろしさも伝えています。英語が話せるということで、ダイレクトに鎌田さんの言葉で現地の人々に想いが伝わったのではないかと思います。

この日は少しゆっくりしていたので最後に、ブリュッセルの街並みを楽しみながら空港へ向かいました。

今回のオーバーランドプログラムは、身近ではない第一次世界大戦をより身近に感じられた旅になりました。 同時に、被害を受けた第二次世界大戦と同じように一次大戦の勉強も日本で行うべきだと思います。

もう二度と戦争を繰り返さないために、 もう二度と核兵器が使用されないために、 目の前にある「船」を使って伝えていきたいと思います。

(文・おりづるユース 岩本麻奈未、 鈴木慧南 写真・鈴木慧南、エマ・バゴット)

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