参加者のその後の活躍

広島の田中稔子さんー非核への願い

世界各地で自身の被爆体験を語ってきた田中稔子さんの記事が、読売新聞に掲載されました。

『非核願い 国超えて』

ー(要約)8月6日朝、田中さんは原爆ドームの前にて「核兵器のない世界を実現するには国や人種を超えて理解し合うことが大切。私はささやかでも、様々な国の人がつながれる場を作りたい」と願った。
国民学校1年の時に被爆した。七法作家となりその作品の売り上げを被爆者団体に寄付してきたが、体験を語ることはなかった。飛行機の音を聞いたときやトマトの皮をむいたとき、被爆当時の光景や皮膚がただれた人々の様子がよみがえってくる。当時の光景を思い出すことはとてもつらかった。
8年前、「ピースボート」から招待を受け被爆者として乗船した。被爆証言をしていなかった当時の田中さんは、南米のある首長から「被爆者のあなたが語らないで誰が話すのか。伝えることはあなたの責任」と諭され、それを機に海外での証言を始めた。その数は、10カ国超、100回以上である。
だが、年を重ねるにつれて思うように歩けなくなり、昨年が海外での証言が最後になった。しかし、外国人旅行者が増える今、迎えることはできると思い、自宅を改築して「平和交流スペース」を開いた。旅行者や留学生、平和活動で広島にきた人ら約100人がこれまでに訪れた。
今年5月、オバマ大統領が発信した核は胃ずつへの決意は再び奮い立つ力になった。自分は語る機会を得て癒えるところがあったが、71年経っても語ることなく、立ち直れぬままの被爆者もたくさんいる。「こんな悲しいことはあってはいけない。世界中の人々がつながりを広げていくことで平和は守っていける。年老いても私の出来る形で人々を結びたい」と話した。

ピースボート 渡邊まあり

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