1.ヒバクシャ証言の航海

シンガポール~戦争加害国での証言~

初めまして。

今回のおりづるプロジェクト「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に

ユース非核特使として参加させて頂いております山崎御園と申します。

私は、東京で役者として活動をしています。

今回のプロジェクトでは、朗読劇や芝居、絵本の読み聞かせなどを通し、

寒川くんとは違った視点で核兵器の恐ろしさを継承していきたいと思っています。

さて、前回の台湾に続き、先日8月28日にシンガポールで証言会をしてきました。

早速、その時の報告をさせて頂きたいと思います。

History Galleryでの集合写真

多民族国家として知られているシンガポールは日本に比べて歴史が浅いですが、

実は700年の歴史があります。

シンガポールには、初めテマセクという時代がありました。

テマセクの時代が終わると、イギリスからラッフルズが現れ、19世紀初めから植民地にされました。周辺国との交易の拠点としての役割を果たし、それが今日の多民族国家の土台を作りました。

1942年2月、日本軍はシンガポールを攻撃し、3年半の間、植民地支配をしました。

日本軍はシンガポールを「昭南島」と改名し、虐殺を行いました。

日本が敗戦して植民地ではなくなったものの、戦後で仕事も何もなかったシンガポール。そこに現れたリー・クワンユーの指揮のもと、「支配されるのではなく完全な独立」を求め、1963年イギリスから独立しました。

36歳で首相に就任して以来、90年まで政権を担い、シンガポールを世界有数の富裕国に導き、今日では経済発展がめざましく世界中の人々が新天地として目指しやってきています。

当日は午前中に国立博物館に行き、日本語ボランティアの方のご案内でシンガポールの歴史、文化、国としての成長、そして日本の行なった加害について学んできました。

国立博物館

博物館を出て昼食をとった後はアジア欧州財団で証言会を行いました。

証言会の様子

初めにシンガポール国連協会の副会長のご挨拶がありました。

その中で、「あなた方はなぜ地球一周をしてまで証言をしているのですか?それは各国ではなく、地球市民としてのアイデンティティをもっているからでしょう。」という言葉が印象に残りました。

これから私たちが選択していく一つ一つが歴史となるなら、地球市民としての考え方を持ち、しっかり継承していこうと強く思いました。

シンガポール国連協会副会長 リー・クワン・ブーンさん

その後は、代表として深堀讓治さんに証言をして頂きました。

深堀さんは14歳の時に長崎で被爆され、ご自身に怪我はなかったものの、お母様やご兄弟を亡くされました。

シンガポールでは直接証言を聞く機会がないため、貴重な機会だと皆さんとても熱心に聞いておりました。

長崎で被爆された深堀讓治さん

証言会の後には、広島で被爆された坂下紀子さんが作成された詩「その朝のいのち」を音楽に乗せて、発表しました。

現地の方々の目を見ると、とても重く深い詩の意味が伝わっていることが分かりました。

広島で被爆された坂下紀子さん

その後は質疑応答を行いました。

最初に、「被爆者のみなさんは、いつから証言を始められたのか」という質問がありました。

深堀讓治さんは、「ずっと辛くて忘れようとしていたため、まだ証言を始めて8年。自分で証言をするのを嫌がる人は周りに沢山いる。」とおっしゃいました。

その回答を受けて、皆さんは辛い中、時には涙ながらに証言をして下さることを改めて思い出し、継承して頂けることを当たり前に思ってはいけないなと、強く思いました。

今回の証言会には最年少15歳という沢山の高校生が集まってくれました。

若者の意見をより詳しく聞くために、グループに分かれて意見交換をしました。

小グループに分かれての意見交換

私のグループには高校生が何人かいたのですが、シンガポールの若者は本当によく考えていて、とても刺激を受けました。日本はシンガポールに比べて被爆証言を聞ける環境に恵まれているのだから、もっと積極的になってほしいし、そのために教育を見直してほしいと思いました。

その後は被爆者の方に、シンガポールの若者を勇気付けるメッセージを頂きました。

坂下紀子さんは、「このように若い人が質問してくれる勇気に感動しています。若者たちは、現実を受け止め歴史を知ることが大切。核兵器は細胞をも破壊して何十年も症状が続く恐ろしいもので、地球全体の問題になります。常に技術が進んでいることを理解して。」とおっしゃいました。

長崎で被爆された深堀俊子さんは、「昔の日本は軍国主義で神の国の国民という教育が強かった。その時その時の権力者にみんなが騙されないように意志を持つことが大切。一番大切なのは学校教育。洗脳は怖い。みんなが許しあわないと未来は開けません。」とおっしゃいました。

今回の証言会を通して、日本は被爆国でありながら加害国であることを学びました。今回のことを活かし、証言をする国の時代背景をしっかり学んでから向かおうと思いました。

シンガポールには親日家も多いですが、戦争体験者世代には今でも日本に対し複雑な思いを持っている方もいます。中には、アメリカによる原爆投下でシンガポールが解放されたという認識を持つ人も少なくありません。

シンガポールの戦争記念公園には「血債の塔」という虐殺の被害者を慰める塔が建てられており、塔の下には「許そう、しかし忘れない」と記してあります。

今回の活動を通して、日本の加害の歴史からも目を背けてはならず、許してくれたシンガポールへの感謝の想いを忘れてはならないと強く感じました。

今後とも、よろしくお願い致します。

文/おりづるユース山崎御園 編集/ピースボートインターン 鈴木慧南

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