1.ヒバクシャ証言の航海

ハワイイ~最後の寄港地にて~

こんにちは、おりづるプロジェクトユースの山崎御園です。

11月18日にハワイイのホノルルにおいて、92回クルーズ最後の証言会を行いました。

その前日に、ハワイイ観光をしてきました。バスに乗って目的地に向かったのですが、初めてのハワイイだったのでどんな場所か知らず、もう少し先か、あと少しかな、とバスに乗り続けているうちに、いつの間にかある大学まで行き着いてしまいました。

その後折り返しのバスに乗って目的地まで無事にたどり着くことができましたが、その大学が次の日私たちが訪問することになっていた大学だったのです。

前日にぼんやりと南国の大学なんて素敵だなあ、と同世代の若者たちをバスから眺めていた私でしたが、まさかその学生たちと触れ合うことになるとは思っておりませんでした。

今回はそんな運命的な巡り合わせもあったハワイイでの証言会と、素敵なハワイイの魅力や日本と関連深い歴史を、私が見たものを通して皆さんにお伝えしたいと思います。

ハワイイ州は、1959年にアメリカ50番目の州となりました。1941年、日本海軍はオアフ島のパールハーバーを奇襲攻撃、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊に大被害を与えました。「リメンバー・パールハーバー」というスローガンからも伺えるように、日本とアメリカの戦争の始まりといえるこの真珠湾攻撃は、多くのアメリカ人の記憶に深く刻み込まれています。今でもパールハーバーには日本の奇襲を受けた戦艦アリゾナ号が保存され、犠牲になった兵士を弔い記念する慰霊碑が建てられています。

それでは早速、活動報告に移らせていただきます。

まずは出発がお昼時だったもので、昼食をとりました。

タロイモやココナッツを使ったメニューなど、大変ハワイらしさを感じるもので、とても元気がでました。

ハワイイの昼食 その後はバスを走らせ、ハワイイ大学のマノア校を訪問しました。 

今回証言会を受け入れて下さったのは、ハワイイ大学にて、アメリカによるハワイイと太平洋地域の軍事化について研究しているカイル•カジヒロさんです。

カイルさんは、アメリカがハワイイを支配下におさめる中で多くの基地や軍事施設を設置してきた問題を公に指摘し、これに対する異議申し立ての運動にも関わってきました。

初めに、カイルさんから挨拶のお言葉を頂きました。

受け入れてくださったカイルさん カイルさんからは「現在、ドナルド・トランプ氏が次期米国大統領に決定したり、核兵器禁止条約に対する国連の動きがあったりなど、平和の社会がどうなるのか不安な次期です。そんな今だからこそ、私たちは何をするべきなのかをよく考える時期です。」と前向きなコメントをいただきました。 

会場には、若者も多くいたのですが、次世代を担う身分として自分たちの未来をよく考えたうえ証言を聞いてくれるきっかけになったのではないかなと思います。

挨拶の後には、おりづるプロジェクトメンバーの一人一人に、レイの贈呈をして頂きました。

思い返せば一つ目の寄港地の台湾で、私たちおりづるプロジェクトから受け入れ先に、おりづるで作ったレイをプレゼントしたことを、ふと思い出しました。

あの日から3ヶ月近くたったこと、レイを差し上げることで始まり、レイを頂くことで終わり、なんだか不思議な気持ちになりました。

レイを贈呈されたメンバー 次に、上野大クルーズディレクターから、「ピースボートと被爆者の方たちの1番の願いは残酷な核兵器が消えることです。今日は、あの日何が起きたのかを直接聞くチャンスです。話を聴いたすべての人が核兵器廃絶を願うでしょう、一緒に核兵器のない世界を作りましょう。」という力強い挨拶をして頂きました。 その後は、14歳の時に長崎の爆心地より3.3km地点の兵器工場内で被爆された深堀讓治さんに被爆証言をして頂きました。

スライドを使った説明はとてもわかりやすく、会場には日本語を学んでいる生徒や、日本からの留学生なども多くいたのですがみなさん真剣に聞いてくださっていました。

深堀さんからは最後に、「証言内容が広まっていくことを願っています、みなさん宜しくお願いします。」とのお言葉があり、しっかり受け継いで継承していこうと改めて決意しました。

証言をする深堀さん 次に、次世代を担う若者代表として寒川友貴くんから、ユースとしての想いをスピーチしてもらいました。 

スピーチをする寒川くん 私は同じユースとして寒川くんをずっと近くで見てきました。その堂々としたスピーチは内容も態度もとても成長を感じさせてもらえるもので、本当に感動しました。 その後は、質疑応答の時間を設けました。

質疑応答受ける様子 まず、被爆者の研究者の方から「原発などの平和利用をどう受け止めますか」という質問をいただきました。 

それに対して深堀讓治さんから、「絶対に反対です。放射能を処理しきれないから、お金をかけてでも早急に新しいエネルギーを開発して頂きたい。」と芯を突き通した答えを頂きました。 また、「日本が核兵器禁止条約の交渉開始に反対したことについてどう思うか」といった質問に対して、2歳の時に広島で被爆された坂下紀子さんからは、「廃止の決議で喜んでいたのに日本の反対に愕然としました。唯一の戦争被爆国として反対する権利があるのに悲しくて情けないです。」といった直接的な回答を頂きました。 

最後に、広島被爆二世として活動する東野真里子さんに、「二世としてのお言葉をください。」とのリクエストを頂きました。

東野さんからは、「10歳以上で被爆した人から10年後も話を聞けるかはわかりません。あの日何があったのか、正しく嘘のない証言を未来に引き継ぐことが大切です。話を聞いた一人一人の心に平和の種を植えて育てていくことが遠いようで近い将来だと思います。」と急な話にもかかわらず素晴らしいお言葉を頂きました。

最後には、こちらからポスターや手ぬぐいなどをプレゼントさせて頂きました。

手ぬぐいをプレゼントする深堀さん 大学側からは、歌をプレゼントして頂きました。

ハワイ語だったためすぐに歌詞の内容がわからなかったのですが、後から歓迎と自分たちの先祖への気持ちを歌った歌詞だと聞きました。

その後は大学側に用意して頂いた軽食をつまみながら交流会を行い、1日が終了しました。

交流会の様子 そして翌日、船内にて一般のお客様から、「ハワイで佐々木禎子さんの本が売っていたので買ったのよ」と本を見せて頂きました。

ハワイでは、2013年より佐々木禎子さんのおりづるの常設展示がビジターセンターに設置されているそうです。

日本と関連深い歴史のあるハワイイで最後の証言会を行えたこと、今回は人数としては大規模ではないこじんまりとした会場でしたが、興味関心のある方のみに向けてその分一人一人との距離が近く集中して聞き入ってもらえたり交流も狭く深く行えました。

第9回のおりづるプロジェクトの総まとめとして、とても適していたのではないかと思います。

残り数日の船内生活を充実させ、下船後の広島、長崎、東京での報告会の準備に励み、今後とも核なき世界への実現に向けて今までの活動内容を生かして全員で頑張っていきたいと思います。

今後ともよろしくお願い致します。

集合写真 文/おりづるユース 山崎御園 編集/ピースボートインターン 鈴木慧南 

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