2.ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)

11/1 ICANノーベル平和賞・受賞記念企画 今こそ聞こう被爆者の声

こんにちは。

おりづるピースガイドの北出麦人です。

先日はピースボートセンターとうきょうにて毎週水曜日に行っているピースボート勉強会にて被爆者の方々を招いて、証言会が開催されたのでその模様をご紹介します。

※ピースボートのホームぺージにて勉強会の予定など見られます。

今回の証言会はICANがノーベル平和賞を受賞したことを記念して、世界が核廃絶に向かい動いている中で改めて被爆者の声を多くの方々に伝えていくという趣旨で行われました。

想像以上にノーベル平和賞受賞は反響が大きく、首都圏以外からも被爆者の声を聞きたいと様々な方々とメディアが集まり会場は超満員で立ち見になる方もいたほどでした

中には小学生や中学生といった若い世代から戦争を経験された年代の方々もました。

※多くの方々に聞きに来ていただけました。

証言していただいたのは過去におりづるプロジェクトにて世界各地に証言をしてこられた小谷孝子さんと三宅信雄さんです。

小谷さんはあっちゃんという人形を使い腹話術で掛け合いをしながら証言を進めていきます。

※あっちゃんと小谷さん

4歳の時、広島で被爆した小谷さん。原爆の瞬間は物陰にいたこともあり熱線と爆風の影響を受けずほとんど無傷だったそうです。ですが、眩しさのあまり閉じていた目を開けると違う世界に来たかと思うほど異様な風景が広がっていました。いたるところに皮はズル剥け、服は焦げ、変わり果てた姿の人々が前かがみで歩いていたそうです。

想像すらできない状況を淡々と語る小谷さんの声とは裏腹にあっちゃんの純粋な質問とが掛け合わされていきます。

飛行機怖いね、水美味しいねと言い残して飛行機が好きな弟はこの世を去っていったそうです。そのすぐ後には小谷さんのお母さんも亡くなりました。

小谷さんは、なぜ自分だけ無傷なんだろうと自問自答したといいます。

そんな経験から小谷さんはあの日広島で起きたことはすべて忘れようと心の中にしまい込みました。

そんな小谷さんはおりづるプロジェクトをきっかけとして自分がした経験を他の人にして欲しくない、という想い証言を始めたといいます。

辛いことを思い出すときにはいつも“あっちゃん”と一緒だったといいます。あっちゃんとの会話をすることにより、少し客観的に見られ、辛い気持ちが和らぐのだそうです。

私が小谷さんの証言の中で興味を持った言い回しがあります。

それは「私は被爆しましたが日本は加害者“でも”あるので」という表現です。

私であれば「日本は加害者であり、被害者である」という表現をすると思います。

やはり私は戦争を経験していないし、ましてや被爆していません。

やはり、被爆者の語る言葉の重みを感じた瞬間でした。

次に三宅信雄さんが証言をしました。三宅さんは広島で当時16歳で被爆しています。

※落ち着いた様子でゆっくりと話始める三宅さんの姿が印象的でした。

原爆が落ちるまでの社会の流れがある程度わかる年齢ということで私はどんな話をしてくださるのかとても興味津々でした。

あの日、三宅さんは満員の電車に乗って町の中心部に向かっていたそうです。電車が止まろうとしたそのとき、窓の外が太陽が落ちたかと思うほどに閃光が走りました。何が起きたかわからず、とりあえず人を掻き分けて列車から降りた瞬間爆風が三宅さんを襲いました。気がついた時には顔中埃とチリだらけで視界もぼやけたそうです。顔を洗いたいと思った三宅さんは川に向かいました。

水を求めて来た人が大勢居て、川が血で真っ赤に染まっていたそうです。

それを見た三宅さんは気が動転して、そこからの記憶がないといいます。

次に記憶があるのは電車に乗り込んでいる情景だそうです。

今朝は暑いなぁと平凡な町の様子を眺めて電車に揺られていましたが、臨時で出されたその帰りの電車は打って変わって身体のいたるところを火傷している人が大勢居たり、風景は焼け野原と地獄絵図のような状況だったと語ります。

その数日後に政府発表がありました。「広島に最新型爆弾着弾。被害は僅少」と報じられたそうです。

それを見た三宅さんは広島がこんな状況になっても被害は僅少と伝えるなんてこれまで戦争の本当の怖さを政府に騙されていたととても強く感じたそうです。

三宅さんはそんな経験をして広島を飛び出しました。何もかもを封印して大学、就職も東京で行い広島を忘れようとされたそうです。

三宅さんは今年88歳を迎えました。

「私はいつ死ぬかわからない、今回ICANがノーベル平和賞を受賞したことはこれまでの努力が認められた気がする。本当に生きててよかった」と喜びの声を上げるとともに、「これからも核廃絶に向けて尽力していく」ととても力強くおっしゃいました。

私は文字通り自分の命を削ってまで、「自分と同じ経験を世界の誰にもさせたくない」と証言を続ける被爆者の方がとってもカッコよく見えました。それはピースガイドとして船内で被爆者の方の話を聞かせていただいたときも同じです。そんな“カッコいい”おじいちゃんの努力と想いが全世界の共通認識となるように、私自身も可能な限りお手伝いしたいと強く感じています。

【追記】

日本政府は核兵器禁止条約反対の意思を取っています。核兵器廃絶を目指すキャンペーンがノーベル平和賞を受賞しても反対の意思を示すということは私は理解できかねます被爆者の方が安心するときは訪れるのでしょうか。それは一人ひとり有権者の政治への参加が鍵になるのではないでしょうか。私は投票したいと思える方がいなくても、こんな社会にはしたくないという観点から候補者を絞っています。いろんな観点から想像力を働かせるのことが案外楽しかったりするものです。

おりづるピースガイド北出麦人

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