おりづるプロジェクト2017

平和と友好の国@ニカラグア

みなさん、こんにちは。

おりづるユースの浦田沙緒音です。

第95回ピースボート おりづるプロジェクト最後の寄港地での証言会はニカラグアです。

ニカラグアは2日間の寄港でしたので、たっぷりお伝えしたいと思います。

まず、ニカラグアという国は、ご存知ですか?

ニカラグアは中米の国で、北はホンジュラス、南はコスタリカと国境を接している国です。

ニカラグアには古都レオンがありますが火山噴火し居住できなくなってしまったため、現在は場所を移して、名前はそのままレオンという街があります。

ニカラグアにスペイン人が渡来する前は、メキシコの影響を深く受けています。

しかし、1502年にコロンブスが上陸したことを機に、スペイン人の入植活動は活発化し、地元インディオの土地を奪い、征服し、虐殺を行ってきました。

1821年に独立宣言をし、グアテマラやコスタリカなどの国々とともに中央アメリカ連邦を結成、1838年にはそれぞれが分離し、ニカラグア共和国となりました。

この頃からニカラグアは、大西洋と太平洋を結ぶ運河構築の候補地として着目され、特に米国が進出してきたのです。運河建築事業を通じてニカラグアに干渉を強めた米国は、軍隊を送って親米政権を支援してきました。これに対し、1927年からサンディーノ将軍が抵抗運動を展開していきましたが、ソモサ将軍によって暗殺され、1937年以来、米国に支援されたソモサ一家の長期独裁支配が続きます。

その独裁による腐敗や人権侵害に対して1979年に、労働者、農民、学生らによるゲリラ組織「サンディニスタ」が蜂起を開始、反米左派政権を樹立させました。これに対して、米国のレーガン政権は1981年、軍事介入を開始します。その結果、キューバやソ連から軍事支援を得た革命政府軍と、米国に支援された反革命軍の間で内戦状態が9年続きました。

2006年には、サンディニスタが過激な武装方針を改めて、ダニエル・オルテガ政権が成立。オルテガ政権は、反米姿勢を明確にしながら社会改革に取組んでいる政権です。

また、核兵器禁止条約についても、ニカラグアは批准をしている国であり、核兵器の非人道性と禁止条約の先頭に立っている国々の一つでもありますし、ニカラグア全市長が平和首長会議に参加しており、国としても市としても意識が高いことが伺えます。

そんなニカラグア、寄港したコリントの港では歓迎式が行われ、おりづるプロジェクトも木村徳子さんが代表して挨拶をされました。

歓迎式には、文化省のルイス・モラレス大臣、コリント市長のアブサロンさん、港湾局長のビルヒリオさん、在ニカラグア大使の安藤さん、大統領秘書の方々らが参加され、ピースボートからはクルーズディレクターである田中洋介氏からも挨拶がありました。

※挨拶される木村さんと来賓の方々

歓迎式後は、レオン市に移動し、ニカラグア政府受け入れ、主催のもと、ピースポートも参加した「平和と友好のピースフェスティバル」におりづるプロジェクトとして参加しました。

ピースボートの草深さんから核廃絶を求める力強いスピーチがあったあと、日本から来た長崎の被爆者として木村徳子さんが、核兵器廃絶を求めるスピーチを行いました。

※フェスティバルの参加者へ向けて

文科省大臣のルイスさんからは、ピースボートは平和のメッセージを運んでくれると、政府を代表して歓迎の言葉が送られました。

このフェスティバルには多くの市民の方も参加していて、ピースボートからのパフォーマンスでソーラン節を踊ったり、ニカラグアの伝統的な踊りが披露されたりと非常に楽しい時間でもあり、ピースボートからはニカラグアへ支援物資を届けたりと、友好的な時間でもありました。

※無形文化遺産にもなっているニカラグアの伝統舞踊

※ルイスさんとともに踊る一幕も

そして、レオン市を後にして首都マナグア市へと移動し、そこで宿泊しました。

2日目は、首都にあるポリテクニコ大学にて、大学生に向けての証言会でした。

今回受け入れをしてくださったのは、その大学にあるマーティン・ルーサー・キング牧師研究所です。

およそ120名ほどの大学生に加え、地元メディアもたくさん来ていました。

※証言会の前にメディア各社からの取材

今回の証言会には副学長の他、復興庁の方と受け入れ団体であるキング牧師研究所の所長さんも参加され、「今日この時間を学生に共有できることを嬉しく思う」と歓迎してくださいました。

※ご挨拶くださった副学長マルガリータ・ゲバラさん

※続いてキング牧師研究所所長のデニス・トーレスさん

ニカラグアでも「フラッシュ・オブ・ホープ」を上映し、写真を交えながら木村さんによる被爆証言がありました。

※上映の様子

※証言に耳を傾けるみなさん

証言をする際に、視覚的に伝えることで原爆の悲惨さをイメージさせるために木村さんの証言では、木村さんとお話をしながら聞き手側により伝えるために作った、画像データや当時の写真を使用します。

画像を見せながら、木村さんがその時見た光景や自身が抱く感情をお話しされました。

※写真を交えながら語る木村さん

私からは、自身がこのプロジェクトに参加した経緯から、市民一人ひとりが意志を示していくべきだと訴えかけました。

※スピーチする浦田

スピーチ中には、多くの参加者の方がヒバクシャ国際署名に署名をしてくださいました。

※署名してくださるみなさん

質疑応答では、学生から「今現在、日本の若者は第二次世界大戦についてどんな見解を持っているのか?」といった突っ込んだ質問や「アメリカに対して憎しみを感じるか?」という質問もありました。

※日本の若者への質問

※学生の質問に自分なりの返答をしています。

そして証言会では必ずと言っていいほど聞かれる「核兵器禁止条約に対する日本の姿勢をどう思うか?」という質問もありました。

※受け入れしてくださったみなさんと

証言会には、水先案内人として乗船されたことのある活動家のアナ・フランシスさんとニカラグアではかなり著名な小説家である活動家のアンヘラ・カサルさんも参加されていました。

その後懐かしの船内を見学されるということで、昼食や帰り道も一緒だったため、個人的に関心のある女性の人権について、直接お話を伺うことができ、とても嬉しかったです。

※みんなで昼食

※署名にも喜んで賛同してくださったアンヘラ・カサルさん(左)とアナ・フランシスさん(右)

今回のニカラグアで寄港地での証言会は終わりとなりました。

【あとがき】

スコットランドからスタートした寄港地での活動ですが、本当にあっという間に過ぎ去ってしまい、未だに整理しきれないものはありますが、6つの寄港地を通して自分自身の未熟さや伝えることの難しさを体感しました。その中で考え方が変わったこともありますし、変わらないものもあります。

ただ一つ言えるのは、どの寄港地でも核兵器禁止条約に対する日本政府の姿勢を問われたことです。

唯一の戦争被爆国である日本から来た被爆者が、どんなに自分自身を晒してでも、日本政府はこの通りです。

日本の姿勢と私たちが望む社会の矛盾は、一体いつまでつきまとうのでしょうか。

72年経っても、なぜこのままなのでしょうか。

それは日本政府だけの問題ではないように思います。

多くの寄港地を通して感じたことは、市民一人ひとりが意志を示し、核兵器に対して声と声を交わし、そして「反対」「NO」を突き通してきたことです。

私たちは社会を変えるのを待っていてはいけません。

私たち一人ひとりが声を出していかなければ社会を変えることはできません。

あなたが心の中で核廃絶を望んでも、核実験の回数は増え続けるのです。

日本で落とされた2つの原爆の過ちから、遠く離れた多くの国で、核廃絶を求めているというのに、私たちはいつまでベソをかくのでしょうか。

こんな社会はもうやめましょう。

核兵器をなくすためにできることを、し始めましょう。

私たちの社会は私たちにしか作れないです。

被爆者のみなさんは、あなたが動きだすのを待っています。

この寄港地での報告を通して、日本政府の核兵器禁止条約に対する姿勢を改めて考え直してもらえたら幸いですし、日本に住む私たちだけでなく多くの国に住む人たちが核廃絶を求め、動いていることを知ってもられたら嬉しいです。

おりづるユース 浦田沙緒音

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