1.ヒバクシャ証言の航海

ソロモン諸島の外務省を訪問しました

222日、わたしたちはガダルカナル島を訪れました。

そこは、76年前、日本軍とアメリカ軍が激戦を繰り広げた島です。

「餓島」と呼ばれるガダルカナルは、戦死ではなく餓死・病死によって命を落とした日本兵が15000人以上もいました。そこには、あの戦争における日本軍の最大の欠陥があったのです。

 
 

「己を知らず、敵を知らず」

 

武器は少なくても戦う精神力があれば勝つことができる。

日本人は特別な精神をもっており、きっと神風が吹いて勝利する。

そう信じて疑わなかった日本軍は、ガダルカナルにどれくらいのアメリカ軍が上陸しているのかという予想を甘く見た上に、実際には、兵力、戦力、持久力、補給力すべてにおいて劣っていたために、多くの命をガダルカナルで犠牲にしました。

いまでも7000人の遺体がジャングルの中でそのままだと言われています。

 

その激戦の時から76年が経とうとしている2018年、わたしたちはピースボートでガダルカナル島を訪れました。

 
 

ガダルカナルはソロモン諸島の首都です。

わたしたちは、外務大臣のジョージ・トザカ氏と面会する機会を得て、外務省に赴きました。

広島の被爆者である三宅信雄さん、水先案内人で元オーストラリア上院議員でありICAN大使のスコット・ラドラムさん、ピースボートスタッフのマット・ダグラス、そしておりづるユースの私というメンバーで訪問しました。

 

三宅さんのスピーチは、まず76年前の出来事に触れることから始まりました。

 

76年前、この島に日本軍を送り込み、この地を血で染めたことを日本人のひとりとして謝罪したい」と。

 

その一言に、トザカ外務大臣の顔が少し緩み、笑顔で頷きました。

 
 

そして、194586日、16歳だった三宅さんが体験した「あの日」の出来事、

「被爆者」としてどう生きてきたのか、いま、どんな想いを抱えているのかということをお話ししました。

 
三宅さんの表情を見つめながら、その出来事や三宅さんのことを少しでも理解しようと一生懸命聞いていたトザカ外務相の姿がとても印象的でした。

 そして、「日本軍のことについての謝罪、そして証言をして下さってありがとうございます」と言葉をかけてくださり、また三宅さんの元気な姿に驚き「本当に89歳ですか!?私も頑張らなくては」と笑っていました。

 
 

スコットさんがソロモン諸島の核兵器禁止条約への姿勢を聞くと、「ソロモン諸島は核を持っていません。私たちの敵は津波、地震、洪水、そして気候変動です。私たちは核と関わろうと思ったことはなく、むしろ核を持つことを非難します。核兵器禁止条約は重要であり、もちろん協力しようと思っています。」と述べられました。

 
 

その日に予定されていた閣僚会議をわざわざ抜けて私たちと面会して下さったトザカ外務大臣に改めて感謝を伝え、ピースボートおりづるプロジェクトから贈り物を渡しました。

トザカ外務大臣から三宅さんには、ソロモン諸島のバッジが贈られました。

 
 

今回、ソロモン諸島のトザカ外務大臣と面会し、直接核兵器禁止条約についてどういった考えを持っているのかということを聞くことができました。三宅さんの証言を聞く表情や、また核兵器禁止条約への姿勢をこの目で見ることができたのはとても貴重な機会でした。ピースボートが航海を続け、過去の戦争を見つめながらも未来の平和について真剣に取り組むという姿があるからこそ実現したのだと思います。

核兵器保有国を動かすことは難しいことではありますが、このように核とは関わりを持ちたくないと考えている国々に批准を促しマジョリティにすることで核兵器禁止条約の発効を目指すことができるのではないかと肌で感じました。

そして、ぜひ賛成すらしていない日本やオーストラリアにプレッシャーをかける存在になって欲しいものです。

 

文:おりづるユース 安藤真子

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