おりづるプロジェクト2018

73年前のあの日、二人の少女に刻まれた記憶。@船内企画

みなさん。こんにちは。

おりづるユースの安藤真子です。

 

9月15日、船内で初めての証言会を行いました。
73年前の8月6日、どんな記憶が少女だったふたり―塚本さんと空さん―に刻まれたのかをお話しいただく機会になりました。

 

被爆には、①直接被爆、②入市被爆、③救援・救護被爆、④胎内被爆 の4つがあります。
空さんは①の直接被爆にあたり、塚本さんは③の救援・救護被爆にあたります。
お二人の話を通して、ひとりひとり異なる被爆体験があるということを感じてもらえたのではないかと思います。

空さんは爆心地から1.4kmの自宅で家族と被爆します。
そして逃げる過程で5歳のひろこちゃんという女の子に出会いますが、無一文になった空さん家族はひろこちゃんを引き取ることを断念し、別れます。
そのことを今でも申し訳なく感じている空さんの気持ちがとても伝わってきました。
また、被爆者であり、被爆者手帳を持っているということで、今でも周りの人から投げかけられる偏見や差別の言葉も率直に話してくださり、被爆者として生活する中での葛藤や大変さも伝わってきました。

「いま生かされているのは、自分を必要としている人がまだいるから。」と、ご自身の携わるボランティア活動や平和活動への思いを語る空さんはとても力強く映りました。

塚本さんは救援救護被爆ですが、お父さんを直接被爆で亡くされています。
お父さんは相生橋の上で被爆し、一命はとりとめましたが5日後に亡くなってしまいます。

お父さんが大好きであったという塚本さんの思い出話がより、懐かしみを帯びて聞こえました。

原爆が落とされる前の夏休み、塚本さんがお兄さんと疎開をしていた瀬戸内海の島にお父さんが会いに来て、広島に帰らないでと頼んだそうです。

当時先生だったお父さんは「広島に生徒が待っているから」と広島へ戻っていったそうです。後ろを振り返りながら、だんだんと小さくなっていったお父さんの姿。それが二人の最後のお別れとなりました。
塚本さんはその後、直接被爆されたお母さんを含め、島に運び込まれてきたたくさんの被爆者の方を看護します。救護した被爆者の姿を今でも鮮明に覚えているという言葉で、73年経っても脳裏にこびりついているほどの経験だと思い知らされました。
最後に読まれた峠三吉さんの「にんげんをかえせ」は、塚本さんが読むことで聞いてくださった方々の心にささったと思います。

会場がいっぱいになるほどの方々に来ていただき、本当に多くの方々に聞いてもらうことができました。涙を流している方も少なくありませんでした。
被爆証言を聞くのは初めて、という方も多かったようです。お二人の話を聞いて、原爆は昔話ではなく、今現在につながる問題だと実感したと話してくれた方もいました。

 

これから船内では9月26日の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に向けて準備を行います。核兵器の問題をさらに多面的に、船内の皆さんと考えていきたいと思います。

 

 

おりづるユース 安藤真子

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