3.核廃絶へのいろいろな動き

被爆77年の平和祈念式典 ~広島と長崎

広島・長崎に原爆が投下されてから77年、今年2022年の夏も、改めて核兵器の非人道性を日本と世界に伝え、核兵器廃絶を求める取り組みを行いました。その取り組みを一つずつ紹介しています。


8月6日、広島

NPT再検討会議参加のためニューヨーク滞在中の川崎に代わり、渡辺里香が原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に出席しました。

8月6日の広島の朝は、今年も夏の空とセミの声、これからやってくる陽射しを予感するような強い日の光で始まりました。3年ぶりに国内から多くの来訪者が慰霊碑に集い、賑わいの中にも慰霊の気持ちのこもった広島の日となりました。

式典は、今春の元首相銃撃事件を受けて厳重警備の中、岸田文雄首相、アントニオ・グテーレス国連事務総長を迎えてのものとなりました。

国連事務総長としては前任のバンキムン氏以来12年ぶりとなるクレーレス事務総長は、用意しているだろうスピーチ原稿から何度も顔を上げて式典参加者に向かって力強く語りました。

力強く訴えるグテーレス国連事務総長(https://www.huffingtonpost.jp/entry/guterres-un-secretary-gereral_jp_5c5b8061e4b0faa1cb6827caより)

「彼らの身体には、人類の歴史の中で最も破壊的な攻撃を生き伸びた印として、はっきりとした傷が刻まれました。被爆者の方々による揺るぎない証言は、核兵器の根本的な愚かさを私たちに気づかせてくれます。核兵器は愚かなものです。」

「私たちは、広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければなりません。」

「6月には核兵器禁止条約の締約国が初めて集い、終末兵器のない世界に向けたロードマップを策定しました」

「世界の指導者に対する私のメッセージは非常にシンプルです。核という選択肢を取り下げてください。永遠に。」

と。

続いて、松井一實広島市長、湯崎英彦広島県知事の挨拶でも「核兵器禁止条約」が語られ、現在の軍事侵攻を指摘して強く非難する強い気持ちが伝わってきました。松井市長は、ロシアのウクライナ侵攻により世界で核抑止論が勢いを増しているとして危機感を伝え「一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と訴えました。

一方、岸田首相は、穏やかな感じさえする挨拶の中で、とうとう「核兵器禁止条約」には触れず、「日本の首相として初めてNPT会議に出席してきました。来年は先進7か国首脳会議(G7)を広島に迎えます」と誇るような語り口でした。参列席から聞いていても、首相率いる日本という国が核兵器保有国の方ばかり向いている気がしてなりませんでした。
被爆者の平均年齢は84歳になります。この一年でも、ピースボートに関わる方、被爆者団体の中でも中心的な役割を果たしてきた被爆者が亡くなりました。「77年経って、核兵器のない世界はまだか」という失望&怒りのような感情も感じました。

この歴史的な年の8月に広島にいられたことに感謝しつつ、被爆者が始めた任務を引きつぎつなげ、成し遂げていかなければならないのだと改めて思いました。その具体的な動きとして、1)次回の核兵器禁止条約の締約国会議に参加(せめて中身のあるオブザーバー)し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶への動きを後押しすることを強く求めます。そして2)来年(2023年)広島で開かれるG7で、核兵器国のトップたちが被爆者を訪れて核兵器の惨禍を直視し、国民を守るためには核兵器をなくす以外にないという確信をもつような議論と対話を期待し求めます。

暑い暑い2022年の8月6日は、期待と落胆が見え隠れしていました。しかし、久しぶりに行われた灯篭流しの静かで力強い光に励まされ、歩み続ける決意を新たにした人も少なくなかったはずです。希望の光はあります。

平和への祈りと希望をこめて(https://www.jiji.com/jc/article?k=2022080600533&g=soc&p=20220806atJ5S&rel=pvより)

 

8月9日、長崎

では、川崎に代わり松村真澄が長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席しました。今回の平和祈念式典では、第80回地球一周「おりづるプロジェクト」の一員として、世界各地で証言をされた宮田隆さんが「平和への誓い」を読み上げるということもあり、大きな期待と緊張感を持って式典に向かいました。

平和祈念公園

長崎も広島同様に朝から太陽の強い光がふりそそぎ、77年前を思い起こさせる一日の始まりでした。会場に向かう前、爆心地公園を訪ねました。早くから多くの人々、メディアが訪れ、黒御影石の碑に祈りや花を捧げていました。振り返ると「1945 8.9 11:02」とだけ書かれた母子の銅像があり、何度も見ているというのに、子どもを守ろうとする母の姿に心を打たれました。

爆心地公園にて

式典には、各国代表の外交官、政府関係者ら来賓に加え、これまで活動されてきた被爆者の方々や専門家、学生ら約1,700名が集いました。今年が出演最後という案内とともに「被爆者歌う会 たんぽぽ」のみなさんが登場しました。多くの場所で何度も歌われてこられた「もう二度と」の歌で、式は開幕となりました。

たんぽぽのみなさんによる合唱

合唱に続いて、原爆死没者名簿が泰安されたあと、厳かな中で、献水と献花が行われました。続いて、市内全体に響き渡る鐘とともに1分間の黙とう。長崎、そして世界の各地から、慰霊と鎮魂、そして平和への祈りがここに集まり、空高くに向かって捧げられたように感じました。

田上富久市長は「長崎平和宣言」の中で、一昨月ウィーンにて行われた核兵器禁止条約締約国会議への参加を挙げ、条約に反対しながらも参加したオブザーバー国を含め率直で冷静な議論が行われたことを述べました。また、核禁条約のNPTが互いに補完するものと強調し、日本政府と国会議員に向かって、核禁条約の署名と批准を明確に要求しました。

スピーチする宮田隆さん

宮田隆さんの「平和への誓い」においても、ウィーンにて、ゼッケンをつけ現地の人々に訴えた交流した経験や、締約国会議におけるオブザーバー国など参加国からの期待から得た大きな勇気について発言しました。日本政府に向けて、条約への批准をストレートに求める言葉には、被爆者の方々の気持ちを背負った強さを感じました。

岸田首相は、NPT再検討会議、広島に引き続き長崎でも、核兵器禁止条約について触れませんでした。一方、「『核兵器のない世界』という『理想』への歩みの基礎となるのは核兵器不拡散条約(NPT)である」と主張します。数分ほど前、田上市長が「NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいる」と語った後の発言で、国際感覚の偏りと過度の執着が際立ちました。

長崎の平和祈念式典は、純心女子高校生徒のみなさんによる「千羽鶴」の合唱で幕を閉じました。私は平和記念像に手を合わせ、帰り道、各国から送られたさまざまな慰霊碑を回りました。その中には、ピースボートの仲間が仲介役となって、核実験で苦しんだアナング族(オーストラリア)から送られた「生命の木:平和の贈り物」もありました。この木が示すよう「平和と調和のために分かち合う」文化が広がるよう、改めて祈り決意した一日でした。

生命の木(平和祈念公園敷地内)

広島部分:渡辺里香 / 長崎部分:松村真澄

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