おりづるプロジェクト(その他)

ピースボート船上フォーラム ~日本・台湾・韓国の8つの港で~

ピースボートはこれまで「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」を通じて、多くの被爆者の方々とともに、核なき世界への思いを世界に伝えてきました。726日から815日の「日本一周クルーズ 2026年夏」で、ピースボート(パシフィック・ワールド号)がノーベル平和センターとの連携による日本被団協ノーベル平和賞洋上特別展を携えて日本国内と台湾、韓国の港に寄港しました。9つの寄港地で、被爆者の皆さまやそのご家族、また、地元で平和や反核に取り組んでいらっしゃる方々を船にお招きし、核兵器廃絶への道のりや、国境を越えた交流を通じた平和推進の大切さについて熱い交流をしました。

2026728日、広島にて——核廃絶と平和へのメッセージを発信

約100名が集まった広島のフォーラムでは、被爆者・田中稔子さんが国境を越えた交流の意義について、平和な世界を築くためには人と人との繋がりが重要だと強調しました。田中さんは「友人の頭上に爆弾を落とす気にはとてもならない。ちゅうちょすることから真剣な外交が始まる」と語り、国境を越えて市民同士が交流し、絆を深めることこそが戦争を防ぎ、真の平和を実現する礎になると強く訴えました。

トークセッションの登壇者:田中稔子さん(中央)、安彦恵理子さん(左)とピースボートの畠山澄子


続いて、元ピースボートスタッフで、現在は広島の「Social Book Cafe ハチドリ舎」代表や「カクワカ広島」で活動する安彦恵里香さんが登壇しました。「広島と世界をどうつなぐか」をテーマにスピーチを行った安彦さんは、ピースボートやハチドリ舎での体験を振り返り、「人と人が出会い、相手の人生や暮らしを想像できるようになる積み重ねこそが戦争を防ぐ力になる」と強調。ガザに暮らす友人との連帯や、ハチドリ舎で続けている被爆者との対話の場に触れながら、「世界のあちこちに大切な人がいる世界をつくることが、平和への行動を生み出し、戦争を抑止することにつながる」と語り、世界中にそうした出会いを生み出し続けることの大切さを訴えました。

ノーベル平和賞洋上特別展を訪れた広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)の佐久間邦彦理事長は、洋上という特別な空間で世界中の人々へ向けて発信される取り組みに対し、「世界中の人に核廃絶に向けた行動を促せる。私たちの大きな力になる」と期待と評価の言葉を寄せました。

広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)の佐久間邦彦理事長

松井一實広島市長は、「航海を通じて世界各地を訪れ、多くの方々と交流しながら被爆の実相を伝え、その思いを受け止めた人々が核兵器廃絶を訴え続けていることに、心から敬意を表します。」とこれまでのピースボートの取り組みについて言及してくださいました。

松井市長(左)と三上所長(右)

国連訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所長 三上知佐さんは、「8月6日、キノコ雲の下で実際に何が起こっていたのかを、世界でまだたくさんの人が知らないということを日々感じています。被爆者の皆さまが長年努力を重ねて伝えてきたメッセージを伝えていく責任を感じています。」と話していました。

2026731日、台湾の基隆にて

花垣さん、台湾の若者に囲まれて

今回のクルーズではじめてとなる日本国外の港、台湾の基隆を訪れました。ひときわ暑さの際立つ基隆では、嬉しい訪問者がありました。以前ピースボートの特別地球大学に参加してくれた学生とそのコーディネーターが20名の仲間たちとともにピースボートに帰ってきてくれたのです。龍應台文化基金會(The Lung Yingtai Cultural Foundation )のみなさんです。

今回、花垣ルミさんの証言は中文に訳されながら、そして当時の人々の生活や戦況を説明しながら話が進みました。台湾と日本の間には、複雑な歴史とそれに対する様々な認識がありますが、若者たちはとても真剣に一言一言をかみしめるように聞き入っていました。

中文への通訳(中央)を介して話す花垣さん

そして、花垣さんはお父様が原爆投下よりも前に台湾に単身赴任していたこと、そのまま台湾で病死されたこと、お父様の遺品の日記には日本語、中文、そして台湾の原住民の言葉でぎっしりと書かれていたことを共有しました。そして、なんと今回が花垣さんにとってはじめての台湾訪問だと聞いて「どうぞ基隆を楽しんでください」と温かく送り出してくれました。

質問に答える鎌田慧さん(右)

その後、同じく水先案内人として船に乗船されているルポライターの鎌田慧さんを囲み、原発の問題や社会問題について質疑応答しました。直接話すことで、台湾と日本の市民社会の取り組みへの理解を深めました。

202682日、那覇にて—— 核の脅威と沖縄

那覇では、沖縄原爆被爆者協議会事務局・大山広美さんに多大なるご協力を頂き、約40名が集まりました。最初に、沖縄原爆被爆者協議会の会長・大城智子さんからご挨拶を頂きました。2001年に約300名以上だった沖縄の被爆者は、今年は約50名になっていること、それでも支援を続けていく意気込みを語りました。

沖縄県原爆被爆者協議会の会長・大城智子さん

次に、那覇に住んでいる被爆者・中原冨美子さんと花垣ルミさんが一緒に19458月のことを話しました。被爆者への差別、検査はするけれど治療はしないABCC(当時の原爆傷害調査委員会。現在の放射線影響研究所)への憤りなどが共有されました。

中原冨美子さんと花垣ルミさんが並んで証言してくださいました。

同時に、沖縄高校生平和ゼミナールの高校生も参加していて、被爆者の話や被爆の実相をどのように受け継いでいったらよいかという質問も出ました。

花垣さんからは「私たち被爆者がいるうちは一緒に歩んで。いなくなってしまったら、また新しい世代の人と手を携えながら歩み続けて。そうやって平和な世界を維持してほしい」と。それを聞いた沖縄の学生の頼もしい表情が印象的でした。

質問する沖縄高校生平和ゼミナール(左)

当日フォーラムに参加した沖縄高校生平和ゼミサポーターの上原之映さんは、地元新聞のエッセイでこのように書いています。「核兵器は、広島や長崎や沖縄の核の問題ではなく、この子たちの未来を左右する私たち一人ひとりの問題だ。」

202684日、長崎にて—— 長崎と世界をどうつなぐか

長崎市の鈴木史朗長崎市長

長崎の被爆者の方々や平和活動のご関係者ら、80名近くが来訪しました。鈴木史朗・長崎市長も訪船され、ノーベル平和センターの日本被団協 のノーベル平和賞洋上特別展をご覧になりました。フォーラムでも「真に平和な世界の実現を目指し、決してあきらめることなく、核兵器廃絶への思いを発信し続けていきましょう」と熱いメッセージをくださいました。

トークセッションでは「長崎と世界をどうつなぐか」をテーマに、畠山澄子の司会のもと、被爆者の三田村しず子さん、長崎大学RECNAの中村桂子さんが、平和教育の大切さなどについて意見を交わしました。

三田村シズ子さんは「戦争が今ゲームのように考えられている」と現状への危機感を示し、「戦争の恐ろしさ、核兵器の怖さを原点に戻って教える必要がある」と訴えました。 長崎大学RECNAの中村桂子さんは「被爆者によって人生を変えてもらったと感じる世代が世界中にたくさんいる」と語り、一人でも多くの人にそうした出会いを体験してほしいと呼びかけました。

被爆者の三田村しず子さん(左)、長崎大学の中村桂子さん

参加者の一人で、被爆者の本田魂さんは「本当の原爆の恐ろしさが薄れてきている。戦争はダメ、核兵器はダメと世界に広めてほしい」と語りました。 他の参加者も「長崎ではなかなか目に触れることができないような平和や核廃絶の思いを知ることができたので、見てきたものを長崎の人たちに伝えたい」と感想を寄せました。

202685日、釜山にて——韓国人原爆犠牲者追悼式

釜山で行われた「韓国人原爆犠牲者追悼式」に花垣ルミさん、ピースボート創設者で共同代表の吉岡達也、おりづるプロジェクトディレクターの渡辺里香の3人で参列させて頂きました。生まれてすぐに被爆した鄭源述(チョン・ウォンスル)さんと、当時12歳で被爆した韓国人被爆者・朴貞順(パク・チョンスン)さんにも会うことができました。パクさんは名古屋生まれで12歳の時に広島で被爆されたそうで、戦後釜山に戻られました。「日本は第二の故郷だから」と今でも流暢な日本語に驚きましたが、お蔭ですっかり仲良くなった花垣ルミさんとは式典中ずっと手を握り合っていました。

式典の間、手を握りあう朴さん(中央)と花垣さん(左)

お互いに「大変だったね」の気持ちを共有する2人のやり取りは、当時同じ日本人として広島にいて、その後戦後の混乱と苦労を生き抜いてきた強さを感じました。そして、式典で韓国語で韓国の国歌を聞いた時には、「私たちには自分たちの言葉がある、文化がある、国歌がある」との気迫を感じて、居た堪れない気持ちにもなりました。戦争当時、日本が韓国をはじめ多くのアジアの国を侵略した歴史を、重く感じる機会となりました。

吉岡達也(右)も一緒に

船に戻ると、被爆二世の李太宰(イ・テジェ)さんと核兵器のことを学びたいという大学生と高校生を船に迎えました。被爆2世の代表として、202412月に日本被団協のノーベル平和賞授賞式にも参列した李太宰さんは、数々の病気と闘いながらもお父さんの経験を語り続けています。日本でも韓国でもあまり知られていない「韓国人被爆者」の苦しみを感じることができました。一緒にきてくれた韓国の若者と日本の若者とが被爆者たちの経験を学び、共に核兵器に怯えなくてよい世界を目指す機会を作り続けていかないといけないと思いました。

被爆二世の李太宰(イ・テジェ)さん(中央)と洋上特別展にて

202687日、舞鶴にて

舞鶴では、フォーラムという形は取りませんでしたが、地元の海洋少年少女団の子どもたちを中心とする舞鶴のみなさんが来訪しました。船内ツアーの中で、ノーベル平和賞特別洋上展を案内しました。今では直接聞くことのできない当時すでに大人だった被爆者の被爆証言集を、非常に熱心にみてくれました。

証言を読む海洋少年少女団

子どもたちへの語り方として、わかりやすいようにと工夫することも大切ですが、子どもたちは文章を読み・感じる力をもっているのですね。改めて考えさせられました。

202688日、金沢にて—— 過去・現在・未来、日本と世界をつなぐピースアクション

核戦争を防止する石川医師の会とNPO法人はだしのゲンをひろめる会との共催で、金沢在住の被爆者やメディアを含めて、約70名が集まりました。江守道子さん(石川反核医師の会代表)による開会挨拶や、平和の子ら委員会による紙芝居「たみちゃんのノーモアヒロシマ」の上演に続き、多様な立場からの発言が行われました。 ピースボートの畠山澄子は、世界の核兵器をめぐる危機的現状を触れつつも、核兵器禁止条約(TPNW)の広がりや非核兵器地帯の形成など、市民運動がもたらした歴史的前進を強調。核兵器を「必要悪」から「絶対悪・恥のシンボル」へ転換させてきた歩みを捉え、あきらめずに発信し続ける重要性を訴えました。

西本多美子さん(左)と花垣ルミさん(右)

京都在住の被爆者・花垣ルミさんや、富山・福井などの若い世代(福井中高生平和ゼミナールの瀬戸渚さん)が登壇し、次世代へ平和の思いを繋ぐ堂々とした決意が示されました。 西本多美子さん(元県原爆被爆者友の会会長)は閉会にあたり、病苦をおして参加された西本さんが「負の遺産を残してはいけない」「いのちの限り核兵器廃絶を訴えていきたい」と迫力あるメッセージを述べ、会場全体で平和への決意と情熱を共有しました。

福井中高生平和ゼミナールの瀬戸渚さん

このフォーラム共催者である石川反核医師の会事務局の大田健志さんは、自らも紙芝居の制作者メンバーでもあるので「このような機会に紙芝居が上演されると思ってなかったので嬉しい」と感想をくださいました。はだしのゲンをひろめる会の白崎良明さんは「(ピースボートが)どのように被爆者の声を伝えてきたのかがわかり、それを若い人が引き継ごうとしていることを知れる素晴らしい機会だった」とコメントしました。

2026810日、小樽にて——

小樽では、小樽だけでなく札幌周辺でも平和活動をしている方々、被爆者の訴訟をになってきた弁護士、そして広く戦争をさせないために市民の力を示している団体のみなさん、大学生が約30名集まりました。

ノーベル平和賞洋上特別展を見学した後に、改めて5歳で被爆した花垣ルミさんの被爆証言を聞きました。大阪で生まれ、横浜で育った花垣さんは、お父さまが台湾に単身赴任することになったので、お母さまの実家のあった広島に帰省していた、などその時の状況を一つずつ追いかけながら86日の被爆を一緒に考えました。幼少期に被爆した花垣さんの話は、当時何を考えていたのか、お母さんがどのような反応をしたのかという視点で語られるため、みなさんにまっすぐに届いたようでした。

最後に、北海道の被爆者の訴訟を担当した髙崎暢弁護士から一言頂きました。「今日この船で花垣さんの話を聞き、今まで弁護してきた被爆者たちの体験も思い出しました。直接被爆の実相を聞くことでて『核兵器と人類は共存できない』との思いを強くしました」と。

北海道の被爆者の訴訟を担当した髙崎暢弁護士(左)

そして、この会を開催したものとして嬉しかったのは、参加した小樽、札幌周辺の方々が「平和運動を広げていくよい機会を頂いた」ということで、これからの共同アクションを期待して下船後の港ターミナルで集合写真を撮ったそうです。ピースボートで出会ったことで、地域の方々がつながる機会になったのなら光栄です。

2026811日、函館にて——中学生、高校生とルミさん

函館では、中高生が40名以上集まりました。真剣な表情でノーベル平和賞特別洋上展を見学して、花垣ルミさんの証言を一生懸命に聞いていました。当時のルミさんは5歳だったので、中高生からすると幼い記憶かもしれません。でも、虫が死んでいる姿を強烈に覚えていること、戦後川で遊んでいる時にヒルに刺された部分が化膿して気絶しそうに痛い治療をしたなど、子ども時代のピュアな感性の記憶は胸に刺さるものがあったと思います。

花垣さんから羽ばたく鳩の折り紙の作り方を教わる生徒たち(北海道新聞より)

花垣ルミさんから「親から最初にもらったプレゼントは名前よ。名前を粗末に扱われるようになったら、戦争の始まり」といわれた時には大きな衝撃を受けていました。一人一人の名前が尊重されるということは、世界が平和だということ、核兵器どころか戦争もだめというメッセージを届けました。フォーラムに参加したある生徒は以下のようにレポートをまとめました。「原爆や戦争について学び、自分事として考えたい。これらを伝えたり、現状を変えるために私たちに何ができるか考える責任がある。」そして最後は、中高生から讃美歌のお礼がありました。

函館で嬉しかったのは、以前の地球一周の船旅で洋上特別展のガイド養成を受けた参加者・大澤不二子さんが、今回のフォーラムを受け入れて学生を連れてピースボートに帰ってきてくれたことです。そして、特別展をみずから案内してくださいました。

ノーベル平和賞特別洋上展をガイドする大澤不二子さん

本フォーラムにご参加いただき、温かい思いを寄せてくださった皆様(約400名)に心より感謝します。貴重なご体験や平和への願いを真摯に語ってくださった登壇者・被爆者の皆様、そして開催に向けてご協力頂いた関係者の皆様のおかげで、世代や立場を超えて互いの思いを分かち合える素晴らしい時間を過ごすことができました。皆様とともに紡いだ平和へのメッセージが、これからも大きく広がっていくことを願っております。

メディア掲載

1)2026年8月28日 中国新聞

広島港にピースボート寄港、船上で核廃絶フォーラム 被爆者ら平和訴え
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/870261

2)2026年7月31日 共同通信

「友人に爆弾落とせない」 被爆者が船上で訴え、広島
​https://www.47news.jp/14718230.html

3)2026年8月5日  長崎国際テレビ
平和をテーマに「ピースボート船上フォーラム」被爆者らが核兵器廃絶の思いを共有《長崎》
https://news.ntv.co.jp/n/nib/category/society/niee1c886354d14689b42b8faddbc94a28

4)2026年8月4日 テレビ長崎
「核兵器廃絶と平和への取り組みを考える」ピースボートで船上フォーラム
https://www.fnn.jp/articles/-/1088540

5)2026年8月9日 中日新聞
核廃絶 船上で誓う 石川県・金沢港にピースボート寄港、市民団体 被爆者フォーラムや展示見学
https://www.chunichi.co.jp/article/1294527?rct=k_ishikawa

6)2026年8月9日 北陸朝日放送
石川県在住の被爆者の体験を描いた紙芝居、ピースボートで上演
https://youtu.be/Nl1aupoOb2k?si=5HG4HtR6OGBoNzt_

7)NHK金沢放送局
長崎原爆の日を前に金沢で核廃絶への思いを共有
https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-3020028544

8)2026年8月11日 北海道新聞
遺愛女子の中高生、核廃絶考える 函館港で船上フォーラム
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1351858/

9)2026年8月22日 西日本新聞

「長崎と世界 どうつなぐ」 ピースボートが核廃絶へ船上企画、被爆者と意見交換

https://www.nishinippon.co.jp/item/1529382/

ピースボートウェブサイト
https://www.pbcruise.jp/report/collection/hiroshima/

写真:中奥岳生(広島でのフォーラム)、ピースボート(広島以外でのフォーラム)

文・渡辺里香

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