2026年8月28日、フィリピンのミリアム大学平和教育センター(CPE)、ピースボートおりづるプロジェクト、Pax Christi Philippines、Pax Christi Miriam Collegeの共催で、広島で被爆した近藤紘子さんのオンライン証言会をしました。(60回目のオンライン証言会でした)

ロレータ・カストロ平和教育センター長
平和教育センター長のロレータ・カストロさんは「2021年にも近藤紘子さんにオンラインで被爆証言をしていただいたが、その時の学生への反響はとても大きかったです。広島・長崎の原爆忌のある8月に核兵器のない世界への誓いを新たにし、平和運動や被爆の実相への理解を深めましょう」と、小学生から大学生までの約260名に語り掛けました。

ゲイル・ガラン平和教育センター副所長
平和教育センター副所長 ゲイル・ガランさんからは、「被爆者」の意味や1945年の原子爆弾投下の歴史的背景を解説し、今回このような形で近藤紘子さんの体験から学ぶ意義を伝えました。ピースボートおりづるプロジェクトのディレクター渡辺里香は、世代を超えて被爆者の証言を世界中に伝える活動や、これまでに180名以上の被爆者とともに100都市以上を巡ってきたプロジェクトについて説明しました。
近藤紘子さんの被爆証言
広島への原爆投下時、生後8か月で自宅の下敷きになるも母親に救出された体験を語りました。
幼少期はアメリカに対して憎しみを抱いていましたが、10歳の時に米テレビ番組でエノラ・ゲイの副操縦士ロバート・A・ルイス氏と対面した際、彼が涙を流す姿を見て「憎むべきは人ではなく戦争そのものだ」と気づかされたエピソードを共有しました。
「核兵器が二度と使われず、誰一人として同じ苦しみを味わうことのない世界」を強く訴えました。

「これからは若い人たちの世界。あなたたちを信じています」と語る近藤紘子さん
そして、父親の谷本清牧師が家族を顧みず、原爆の被害にあった人々の救済にばかりあたっている姿に娘として怒りや理解できない気持ちがあったとも話しました。しかし、紘子さんが大人になってから父親の清さんは原爆当日、原爆被害にあった街でどんなに助けを求められても応じることなく、家族の安全と生存ばかりを願って帰宅したこと、牧師としてそれを申し訳なかったと後悔する気持ちにさいなまれたことを知ったそうです。父親が最初に心配したのは自分たち家族であったことが分かった娘の紘子さんは、それ以来被爆者たちと共に核のない世界のために奔走し始めたのだそうです。こうして、父・清さんの後を追いかける形で紘子さんの活動が始まったと話しました。
この父と娘の関係は「被爆者同士、当時の話を家族や友人の間で話さなかったのか」「当時赤ちゃんだった紘子さんを核廃絶の運動に後押しする強い気持ちはどこからきているのか」という生徒からの質問に答えるものであったと思います。
証言後には生徒との質疑応答が行われ、あたたかいメッセージが寄せられました。ガランさんは最後に「近藤さんの証言は歴史の記録にとどまらず、行動への強い呼びかけである」と締めくくりました。
文:渡辺里香








