2017年10月6日、ノルウェー・ノーベル委員会は2017年のノーベル平和賞を核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与すると発表しました。そして、12月10日にオスロで授賞式が行われました。授賞理由として「核兵器の使用がもたらす破滅的な人道上の結末への注目を集め、核兵器を条約によって禁止するための革新的な努力をしてきたこと」が挙げられました。
同年7月の国連における核兵器禁止条約の成立に貢献してきたNGOの連合体であるICANの活動においては、ピースボートや日本の被爆者らが大きな役割を果たして来ました。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)は、核兵器を禁止し廃絶するために活動する世界のNGO(非政府組織)の連合体です。スイスのジュネーブに国際事務局があり、2020年8月現在、103カ国から500を超える団体が参加しています。
ICANは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)を母体に2007年、オーストラリアで発足しました。2011年にジュネーブに国際事務所を設置して以来、核兵器の非人道性を訴える諸国政府と協力して核兵器を国際法で禁止するキャンペーンを世界的に展開してきました。2017年に核兵器禁止条約が国連で成立し、同年のノーベル平和賞はICANに授与されることとなりました。
ICANの執行部は、世界10団体からなる国際運営グループです。国際運営グループが活動方針を決め、国際事務局を監督して世界中の取り組みを牽引します。同グループにはIPPNWのほか、婦人国際平和自由連盟、英アクロニム研究所、オランダのPAXなどのほか、日本からはピースボートが参加しています。ピースボートを代表して川崎哲が国際運営委員をつとめています。
2014年7月以降、スウェーデン出身のベアトリス・フィン事務局長が国際事務局を取り仕切り、他に8名の国際スタッフがいます(2020年8月現在)。世界中からの多数の参加団体がこの運動を支えています。
ICANのホームページもご参照ください。
核兵器禁止条約は「核兵器の終わりの始まり」
核兵器を条約で禁止するという提案は1990年代からありました。これまで生物兵器や化学兵器という大量破壊兵器や地雷やクラスター爆弾といった非人道兵器が国際条約で禁止されてきたように、核兵器も条約で禁止しようというものです。この動きに一気に火が付いたのは、2010年に赤十字国際委員会が核兵器は非人道兵器であると断ずる声明を出したことです。ここから、核兵器の非人道性に関する国際的運動が始まりました。
2012年以降、スイスなどによって核兵器の非人道性に関する共同声明が発せられ、ノルウェー、メキシコ、オーストリアでは核兵器の非人道性に関する国際会議が計3回開かれました。核兵器を法的に禁止するための議論は2015年よりを本格化し、2016年の国連作業部会そして国連決議によって、条約の交渉開始が決定されました。2017年3~7月にニューヨーク国連本部で条約交渉会議がコスタリカを議長に行われ、7月7日、122カ国の賛成投票により核兵器禁止条約は成立しました。
以上のような過程で、ICANに集う世界中のNGOがたえず諸政府に働きかけ、国際的な議論と交渉の前進を促してきました。
核兵器禁止条約は、核兵器を非人道兵器と断じて、核兵器に関わるあらゆる活動を例外なく禁止しています。それだけでなく、核保有国が核兵器を廃棄する基本的な道筋を定め、核被害者の権利を定めています。条約交渉会議の閉幕にあたり、広島の被爆者サーロー節子さんは「核兵器の終わりの始まり」と演説しましたが、まさに歴史を転換させる画期的な条約といえます。
条約の前文は、ヒバクシャ(hibakusha)と核実験被害者が受けてきた苦痛に言及した上で、「いかなる核兵器の使用も国際人道法に違反し、人道の諸原則・公共の良心に反する」としています。そして、核兵器廃絶のためのNGOやヒバクシャらの役割を強調しています。
ピースボートが果たしてきた役割
ピースボートは、2010年からICANに参加しています。主に2つの面でICANの運動に関わってきました。
1つは、核兵器の非人道性の土台である、広島・長崎の被爆者たちの声を世界に伝えることです。ピースボートは「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」(おりづるプロジェクト)を通じて、2008年から2020年までに計180名の被爆者と共に船で世界をめぐってきました。2017年のノーベル平和賞授賞式でベアトリス・フィンICAN事務局長と並んで受賞スピーチを行う広島の被爆者、サーロー節子さん(カナダ在住)は、ピースボートの水先案内人であり、第1回おりづるプロジェクトの参加者の1人です。
寄港する先々で証言会を準備してくれたのは、各国のICANの参加団体であり、ICANと連携する「平和首長会議」の加盟市町村の皆さんたちでした。地元市民に被爆の実相を証言をするだけでなく、現地の市長や知事、大臣らに対しても、それぞれの国が核兵器禁止条約に賛成し、交渉に参加し貢献するよう求めてきました。
もう1つは、日本で核兵器廃絶に取り組むNGO間の協力と、政府との対話を促進する活動です。日本には、ICANの日本支部という組織は置いていません。広島・長崎の歴史をもつ日本には核兵器廃絶や平和に取り組んでいる団体が多数あります。日本の約20のNGOが「核兵器廃絶日本NGO連絡会」を形成しており、ピースボートはその世話役の一端を担っています。ICAN国際運営委員である川崎哲が、日本のNGOの活動とICANの運動とを調整してきました。そして、日本のNGOと政府が核兵器をめぐる政策について意見交換する場を維持し、ときにぶつかり合い、ときに協力する関係を築いてきました。
こうしたふだんからのNGOと政府の対話に基づき、ピースボートは核兵器禁止条約がどのような条約であるべきかということについて、交渉会議において作業文書を提出したり発言を行ったりしてきました。ピースボートの船旅に参加する被爆者らも国連本部を訪ねて、関連会議の場で発言するなど、積極的に貢献してきました。
被爆者は世界に訴える-政府は後ろ向きでも市民は前に!
核兵器禁止条約に「ヒバクシャ」という言葉が記され、核被害者の権利が明記されたことは、被爆者の方々の長年にわたる勇気ある取り組みの成果です。ピースボートのおりづるプロジェクトはまさにその一例ですが、それよりずっと前から、広島市や長崎市、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)、第五福竜丸の元乗組員の方々らが、世界に訴えを広げてこられました。そうした声が2017年の核兵器禁止条約に実ったのです。
しかし、これからが重要です。核兵器禁止条約が発効するためには、50カ国以上が署名し批准しなければなりません。核兵器を保有する大国らは、核兵器禁止条約に署名しないよう多くの国々に圧力をかけています。これに対して、「核兵器はいかなる理由があっても許されない」という禁止条約を、世界の圧倒的多数の国が支持するものにしていく必要があります。被爆地からの声がさらに求められています。
日本政府は核兵器禁止条約に反対しています。政府は、日本の平和のためには米国の核兵器が必要、だから核兵器を全面禁止する条約には反対だというのです。しかし唯一の戦争被爆国として、そのような態度が許されるでしょうか。ICANに集う世界の多くのNGOは、日本のこの矛盾に気がついており、日本の市民社会が政府の姿勢を改めさせることを期待しています。
なお、被爆者は日本人だけではないということも理解しておく必要があります。植民地支配により朝鮮半島から日本に来て働くことを余儀なくされていた方々や、米軍の捕虜も被爆しました。また、世界でこれまで2,000回以上行われてきた核実験や、チェルノブイリや福島の原発事故で被害を受けてきた方々も、広い意味で「グローバル・ヒバクシャ」といえます。
核の被害は日本だけの話ではない、これは地球全体の問題である。ICANはこうした視点で活動してきましたし、ピースボートもこの視点を大切にしています。
こちらから、ICANとピースボートとの関わりをまとめたパンフレットをダウンロードすることができます。