みなさんこんにちは。
ピースボートインターンの鈴木慧南です。
今回は6月29日、30日に行われたエルサルバドルのサンミゲル
ニカラグアと同様、1524年からスペインによる征服がはじまり
1856年に共和国として独立しましたが、スペイン系の白人が先
コーヒー栽培がインディオの土地を買い込んで大農園を作る形で進
1929年の世界恐慌でコーヒーの暴落が起きると、これに経済は
これを軍隊が一方的に弾圧し、約3万人が殺され、以後50年間に
1969年にエルサルバドルと隣国のホンジュラスは、サッカー
その背景には長く続いていた両国の緊張状態があったと言われています。
軍政が長く続き、それに耐えきれなくなったエルサルバドルの人々
やむなく自国に戻ったエルサルバドルの人々は、ホンジュラスで虐
この戦争は米州機構(OAS)が調停に乗り出し1980年に和平が成立しま
この間も国民抵抗運動は続き、1980年にはファラブンド・マル
危機感を覚えたアメリカのレーガン政権は、政府軍に軍氏支援をし
対する左派ゲリラは、サンディニスタ民族解放戦線の支援を受け内
1992年に国連の仲介でようやく和平を迎え、その後親米政権が
このように、長く支配が続き最近和平を手に入れ、復興を目指して
まず6月29日は、船を1番におりてミニバスに乗り、5時間かけ
ここは駐日エルサルバドル大使の方に「ぜひ訪れてほしい」と言
中南米の暑さや、きちんと整備されていない道路での長距離移動で
ここでは最初に、現地の学生が日本の原爆投下の歴史とエルサルバド
遠く離れた日本の広島と長崎のことを丁寧に調べてくれていたよう
次におりづるプロジェクトを代表して広島の被爆二世である砂原由
250名以上いる生徒は暑い中でも彼女の話に耳を傾け、砂原さん
その後、おりづるユースの遠藤愛弓がユースとしてエルサルバ
証言会後にはエルサルバドル料理をたくさん振舞ってくださり、み
中南米の地域はトウモロコシが有名なので、トウモロコシを使った
食事をしながら言語はお互い通じませんが、船内で作ってきた鶴な
2日目は朝早くからサンミゲル市庁舎を訪問し、サンミゲル市長で
彼は2015年に32歳という驚くべき若さで当選されました。あまりの若
ペレイラ市長からは「エルサルバドルは長い内戦を経て復興途中の国
その後、平和首長会議の加盟のための署名をするとともに、ヒバクシャ国際署名
わたしたちが帰る際にはサンミゲルの地域の名前の由来にもなった
短い時間の面会でしたが、若い彼についていこうとするサンミゲル
次にサンミゲルから2時間車で移動し、エル
モソテという場所を訪
ここはホンジュラスとの国境付近で、内戦で最も悲惨な虐殺が行わ
ここでは4人の虐殺を目の当たりにし、内戦を生き残った住民の方
エルモソテは決して経済的に豊かな村ではありませんが、普通の一
ですが、ゲリラ組織に食料などの援助を村として行っていたことをきっか
当時の様子を教えてくれたアロンソさんも、家族や親戚など約50
突然多くの人々が消えたことに不信感を持ち、友人とあちこち探し
そこから亡くなった人の名前などを調べ、埋葬しました。
このときゲリラ組織の人々も約250人が亡くなり、近くの修道院
下記の写真の優しそうな雰囲気の女性はソフィアさんと言います。ソフィアさんは両親を目の前で射殺されました
また、12月11日には32人の親戚を虐殺されました。
ソフィアさん自身は11月23日からサンミゲルで用事があり、エ
ですが、帰ってくるとほとんどの身内が殺されており、しかも政府
そんな彼女は当時、22歳でした。
わたしは今24歳で、当時の彼女と同じような年齢です。
今、わたしの目の前で同じようなことが起こったら、と想像してみ
ここでは本当に、一般の住民が一方的に虐殺されました。
現在、この事件は公的に裁判などにかけられておらず、さらに科学
エルモソテの虐殺の特徴は、罪のない子どもたちが多く虐殺されたこ
ゲリラに協力した住民に対して、将来的にゲリラに入り、戦力にな
慰霊碑に刻まれた名前にはまだ0歳の赤ん坊の名前も多く刻まれて
このような悲しい過去を乗り越えるきっかけとなったのは、国際的に
本や歌など身近なことから、生存者の聞き取り、法的なことまで多
だからその声に応えるためにも、多くの亡くなった人たちのために
最後に村を案内してくれたベニートさんが「ソンブレロ アスール」という歌を歌ってくれました。これは「青い帽子」とい
エルモソテの人々にとって青い空の高さは彼らの尊厳の高さと同じ
歌を通じて歴史を語り継ぎ、そして他の場所で苦しめられている人
今回のエルサルバドルのツアーは駐在エルサルバドル大使の弟である
出迎える時も見送るときも、笑顔で受けいれてくれた彼にとても感謝
今回は1泊の濃密な経験だけあって長い文章となりましたが、エル
また、「殺されることのない世界」は被爆者のみなさんもエルサルバ
ピースボートで船旅をしなければ、港から7時間以上も離れたエル
改めて「船で直接会いに行く」ことの大切さを学びました。
大歓迎を受ける中南米での証言プログラムも、エルサルバドルで最後です。
このあとはしばらく洋上が続きますが、中南米での経験をしっかり
ピースボートインターン 鈴木慧南
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