7月10日(土)、メキシコシティ訪問団は、日墨協会という日系メキシコ人の方々の集まりに寄せていただき、最後の証言会をおこないました。まず午前中には、メキシコ在住の若い映像作家、竹田信平さんの作品「ヒロシマ・ナガサキ・ダウンロード」を鑑賞しました。これは北米大陸に住む在外ヒバクシャを尋ねる若い監督と友人の姿を記録したドキュメンタリーです。どこか「ヒバクシャとぼくの旅」にも通ずるものもある、「若い世代への継承」を考えさせる作品でした。
鑑賞後、会場にてヒバクシャと、在メキシコの芸術家たち、そして日墨協会で活動する日系の若者グループとで大きな円になり、意見交換会を行いました。参加者の中には、来たる12月にメキシコシティで共同展覧会を行う予定のアーティストもいると聞いて、柳生研太郎さんは「平和だからこそ出来ることだ」と目を細めていました。
平和への思いや祈りをそれぞれどのような形にしてゆくのだろうか
質問のなかに、「原爆投下時の状況は、ヒバクシャでない人が語ることは難しい。ヒバクシャとして、どのように次の世代が継承し、表現してくれることを希望しますか?」という問いかけがあり、この問いに深くうなずく姿も見られました。兒玉淑子さんは、「あのときの地獄絵のような光景を伝える時、やはり見た者の迫力を越える事はできないだろう。だからこそ、みなさんの『平和への想い』を形にして表し、伝え広げてほしい」と伝えました。
午後の部は被爆証言会です。広い日本庭園がしっとりと濡れるあいにくの雨模様でしたが、大勢の方に集まっていただきました。まず、日墨協会前会長の田中レネさんからご挨拶をいただき、会が始まりました。つづいて兒玉淑子さんと萩野美保子さんによる被爆証言を行い、その後実に活発な質疑応答が行われました。
ヒバクシャであることや平和について考え続けた旅を振り返る萩野さん
被爆者への公式援助についての質問の際には、山下さんが原爆被爆者手帳を回覧してくださり、在外被爆者の立場からも返答がありました。
ヒバクシャが濃桃色の手帳を取得するまでにはそれぞれの歴史と逡巡が
また、一般参加者からは、これからも寄港するピースボートとどのように関わって平和活動をすることが出来るかと言う質問もありました。
最後に、一日を通して参加してくれた日系若者グループから活動発表がありました。2世・3世の彼らが、日本語を話さなくなっても、日本文化を継承し、メキシコの文化と共盛しながら、集い楽しんでいる様子を写真入で伝えてくれました。
ハッピ姿でパレードに参加する様子を紹介するOJNメンバーたち
夏や冬の休みには、国境を越えて、中南米の日系若者グループの交流会なども開いているそうです。皆、いつかピースボートに乗りたい!とのこと。これからのつながりの可能性が強く感じられるような笑顔あふれる写真でした。今回メキシコシティでの証言交流会を行うに当たっては、メキシコシティ在住の日系コミュニティの皆さんに大変お世話になり、貴重な出会いに感謝しました。
(小松真理子)
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