みなさん、こんにちは。
ピースボートの野口香澄です。
8月6日の広島原爆投下の日、8月9日の長崎原爆投下の日におりづるピースガイドの発表会が2回にわたりありました。
今回は船内で原爆投下の日を迎えるということもあり、それぞれの広島・長崎の街を船内にいる人たちに案内をしていく企画を行いました。
その名も「おりづるピースガイドと巡る8月6日と8月9日~いのちが大切にされる社会にするために~」です。
この日を迎えるまでの間に計10回の講座、そして、短い時間の中での準備ということで大忙しでした。
ピースガイドの受講生は年齢も経歴もバラバラ。その中で“継承する”という1つのテーマだけで船内にいる人たちにいかに、73年前に広島・長崎の出来事、そして今につながる問題を伝えていくのかということをとことん話し合い、掲示物も工夫をしていきながら作成をしていきました。
そして、8月15日に正式におりづるピースガイドの修了式を持って、おりづるピースガイドの認定を受けました。今回おりづるピースガイドは3期生になります。
おりづるピースガイドの1人の大山紗季さんから受講してみての感想を書いてもらいました。
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「おりづるピースガイドを受講して」
おりづるピースガイドを受講した大山紗季と申します。先日全10回の講座と8月6日、9日の企画を終え、おりづるピースガイドの認定を受けました。
私がおりづるピースガイドを受講した理由は、自分の国の戦争や歴史を知り、伝えていける人になりたいと思ったからです。しかし、正直船に乗る前は戦争や歴史を学ぶことに興味を持っていたわけではありませんでした。船内で私は、せっかく世界一周するなら世界の事を知りたいと思い、船内講座の一つである地球大学を受講していました。また、寄港地では交流・見聞ツアーにいくつか参加して、そこに住む人たちと出会い、生活や活動、歴史について直接話を聞く機会がありました。その中で、どうして世界にはこんなにも様々な問題が起こっているのか考えるようになりました。世界の事に目を向け、色々なことに興味を持ちましたが、同時に私は自分の国のことについても知らないことがとても多いことに気が付きました。
そのようなことを考えている時に船内でおりづるピースガイドの募集があり、私はすぐに受講することを決めました。講座の中でおりづるプロジェクトメンバーに、今までの人生や広島・長崎の原爆投下後の惨状、現在の原発や核兵器の話、今後作っていきたい社会についてなど話を聞きました。
最初は学びたいという気持ちが強かったのですが、受講の回数を重ねていくうちに、戦争を知った上で平和な社会を作っていくことの大切さに気付き、本当に語り継いでいきたいという気持ちが強くなりました。しかし、自分に伝えるということができるのか不安もありました。今まで学校で勉強してきても、誰かに伝えるということはほとんどしたことがありませんでした。でも、これからは次の世代にも伝えることができるような大人になりたいと思い挑戦を続けました。ピースガイド受講生は年齢も様々でしたが、アイデアを出し合い、役割分担をして準備を進めていきました。それぞれ勉強して「自分の言葉」で伝えられるようにしていきました。
そうして迎えた8月6日と9日、船内のたくさんの方が来てくださり、自分たちの手で作り上げた広島、長崎の街をガイドしました。1945年の8月6日と9日に広島・長崎に起こったことの展示から、街の遺構や平和祈念館などを一緒にめぐり、現在の原発についても考える企画。質問に答えられないこともあり、十分にガイドできていなかった部分もあったと思います。でも、来てくださった方々はガイドを頷きながら聞いてくださりました。核兵器や原発についても語り合うことができたと思います。
私にとって世界一周の船旅は世界の事を近くに感じることが出来たと同時に、おりづるピースガイドを通して改めて自分の国のことにも目を向けることになった旅でした。
これからの社会を生きる子どもたちに戦争のない社会、安心して生きていける社会、楽しいことがあり、幸せを感
じることが出来る社会を繋いでいきたい。一人一人の力は微力かもしれないけれど、今回おりづるプロジェクトメンバーとピースガイド受講生で作り上げた企画は、一人一人が取り組めばたくさんの人に伝えていくことができるということも私に教えてくれました。実際に起こった戦争の歴史を話し、さらに“今”のことやこれからの社会“未来”のことも語り合い、考え行動していく、そのことは続けていかなければならないことだと思います。
今回は16名のおりづるピースガイドが誕生しました!
日本に帰っても、今回学んだこと、被爆者との出会いを忘れずに継承活動に参加してもらいたいと思います。
ピースボート 野口香澄
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