1.ヒバクシャ証言の航海

イスラエル派遣団、4名の被爆者をご紹介します!

■三宅信雄(みやけ のぶお)被爆当時16歳・広島被爆 埼玉県在住
爆心地より約2km地点で被爆。当時広島市郊外にある兵器工場の寮に住んでいたが、原爆投下当日は、親戚の家で療養していた母親を訪ねて市内へ向かっていた。その途中、路面電車のなかで被爆。電車内で多くの死傷者が出たが、自身は咄嗟の判断で電車を飛び降りたことにより被害を免れた。1980年代後半から証言活動を開始。活動は日本国内にとどまらず、アメリカやオランダ、カナダなどでも証言し、在韓被爆者との交流なども積極的に参加。
2007年から2009年には東京都原爆被害者団体協議会の事務局長を務める。

    ピースボートのおりづるプロジェクト


■土田和美(つちだ かずみ)
被爆当時4歳・広島被爆 埼玉県在住
友人とお遣いの途中、爆心地から2.5km地点で被爆。友人は火傷を負った。両親と弟2人、妹1人の6人家族のうち、母親と弟妹は自宅にて被爆したが、見知らぬ人の助けにより無事だった。しかし、妹が体調不良だったため相談しに医者へ向かっていた父親は1.5km地点で被爆し、原爆症によって原爆投下から1ヶ月ほどたったころに他界。2008年ピースボートが行った『第1回ヒバクシャ地球一周 証言の航海』をきっかけに証言活動を開始。
現在は埼玉県原爆被害者協議会に所属し活動を続けている。

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■永山巌(ながやま いわお)被爆当時2歳・広島被爆 千葉県在住
原爆投下当日、爆心地より2.9km地点にあった広島市内の自宅にて母と妹とともに被爆。屋内にいたため、3人は大きな外傷などはなかった。通勤途中だった父親は路面電車を待っているときに被爆。大やけどを負ったが、母親による献身的な看護により仕事に復帰。自身も2005年に大きな肝臓がんが見つかり手術している。
2008年より本格的に語り部としての活動を開始。現在千葉県原爆被爆者友愛会の「被爆の語り伝え研究会」メンバーとして活躍中。

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■杉野信子(すぎの のぶこ)被爆当時1歳・広島被爆 東京都在住
原爆当時、爆心地から1.3km地点にあった自宅にて被爆。家にいた母親と自身は家屋の下敷きになったが、隣人に助けられ無事だった。小学2年生だった姉は、小学校から逃げる途中で偶然母親出会い、3人で広島市郊外に逃げた。中学1年生だった兄は学徒動員として爆心地近くにいたため、同級生や教師らと全員が爆死した。その後、火傷がひどかった姉も20日後に他界した。現在は世田谷被爆者の会に所属。若年被爆者のため、記憶はないが友人の誘いから同会の役員として活動。

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