こんにちは。おりづるユースの森山景です。
2月15日はアルゼンチンのブエノスアイレスに着きました。現地ICANスタッフのピアさんを通じて知り合った新聞社・テレビ局から取材を受けました。なかでも印象的だったのは、ある記者の方との出会いです。彼女は淳子さんの証言映像を事前にみて、その内容の事実確認をしながらも、淳子さんの心に触れるように繊細な質問をいくつもしていました。
ひとりでブラジルへ渡ったときの心境はどうでしたか?
被爆当日に、被爆証言の中で語られなかったほかの家族たちは何をしていましたか?
これらの質問は、私たちが淳子さんのことをよりよく知る糸口になりました。
私もこんな風に淳子さんにいろんな質問をしたい、被爆証言の言葉をもっと深く理解したいと思いました。そして、被爆者であるわたし自身の祖父にも、もっといろんな質問ができるし、してよかったのだと思いました。
取材の後は外務省に行き、副外務大臣の Daniel RAIMONDI氏(ダニエル・ライモンディ)に会いました。アルゼンチンは原発を核兵器に転用しないと約束してくれました。ヒバクシャ国際署名も受け取ってもらいました。
※副外務大臣のライモンディさん
そして、船を訪れてくれたアルゼンチンの子どもたちと交流会をしました。
「今日のために核問題について勉強したよ」と笑顔で話しかけてくれた子がいました。彼女は爪を平和を象徴する色である青色に塗っていました。
淳子さんは、原爆症で亡くなった少女・佐々木禎子さんの話をしてくださいました。千羽鶴を折りながら病気の回復と平和を願っていた禎子さんの話を聞き、どうしておりづるが平和の象徴なのかを知りました。そして、みんなで優しい気持ちをもっておりづるを折りました。子どもたちは何度も作り方を尋ね、覚えようとしていました。私たちの話を最後までしっかり聞いて受け止めてくれました。帰り際に、核兵器を廃絶するための運動をしたいと言ってくれる子がいました。
取材の質問の中には、日本の核問題に関する事柄もありました。
日本はどうして原発を止めないのか。
核の平和利用は可能なのか。
外国にいると、様々なことを日本と比べます。そして海外で被爆証言をするということは、日本の歴史を見つめ直し、考えることでもあります。この旅路で、これから、日本のことを何度も振り返り、帰国後に何ができるかを仲間達と一緒に考えようと思います。
おりづるユース 森山景