1.ヒバクシャ証言の航海

第7回「証言の航海」を終えて

みなさま、ご無沙汰しております。ピースボートの古賀です。
広島をはじめ日本各地で、集中豪雨、土砂災害など大変な被害に遭われているみなさまに、心を痛める日々が続いています。一日も早く、これまで通りの日常を送れる日が来ることを願うと共に、遠くから自分にできることを模索しています。

さて、早いもので第7回「証言の航海」が帰国してから2ヶ月が経ちました。ここで、担当スタッフとして同行し感じたことをまとめさせていただきます。

第7回「証言の航海」に同行した担当スタッフ
ピースボート古賀早織

「ヒバクシャとユースが共に作る未来」をテーマに掲げた今回の航海は、8名の被爆者のみなさんと2名のユースが共にプロジェクトをつくり、世界各地へ核廃絶のメッセージを発信してきました。(活動報告書は、ブログ末尾★1から)

被爆者とユースが共に旅をするのは、昨年に実施した第6回証言の航海に続き、今回が2回目です。はじめは、互いの立場や役割を理解し合うことに難しさを感じる場面も多くありました。中でも、「被爆証言は被爆者にしかできないのか」という問いはクルーズを通して頭を悩ませたテーマでした。

船の前

2014年3月13日横浜にて。雨の日の出航式

たとえば、今回ユースとして参加した浜田あゆみさんは、役者として活躍する自身の得意分野を生かして、各寄港地での証言会で、参加被爆者の証言の一部を朗読や演劇といった手法で表現。また、福岡奈織さんは、聞きに来てくれた現地の方々へ、被爆者の証言の前後に、原爆の説明や簡単なワークショップ、「いま」被爆者の声を聞く貴重さや重要性などを語りかけました。どちらも、毎回、被爆当時のことを話す担当となった被爆者の方と幾度となく打ち合わせを重ね、使う資料や時間配分などにも頭を悩ませながらの準備でした。

船内にて。被爆当時のことを聞き取るユースの福岡奈織さんと
坂田尚也さん(広島被爆、当時16歳)

このようなユースの演出を取り入れることに対して、プロジェクトメンバー内で思いがぶつかり合うことも多かったです。「私たち被爆者がいるのに、なぜ戦争のことさえ知らない若い人が原爆について語るのか」「本当のことを語ることが出来るのは被爆者である私たち」という被爆者の思い。一方で、「被爆者の思いや事実を自分たちの言葉で表現することで、より様々な層の人々が考えるきっかけになるのでは」というユースの思い。どちらも伝えたい熱意は同じだからこそ、葛藤や悩みはつきませんでした。

この葛藤も、地球一周の旅の中で、「被爆者として」「ユースとして」ではなく一人の「人間として」の魅力やキャラクターを互いに知っていく中で、少しずつときほぐれていったように思います。

夜は船内にある居酒屋「波へい」へ
真面目な話は抜きにして、遅くまで語り笑いあいました

「波へいうどん」は絶品です

また、寄港地の活動、とりわけヨルダンのパレスチナ難民キャンプやアウシュヴィッツ・ミュージアム、タヒチの核実験被害者との交流など、世界各地でそれぞれの負の歴史を語り継ぐ現場を見ていく中で、それぞれの「継承」に関する考えが少しずつ変化していきました。

この変化が一番大きく見受けられたのは、それぞれ11ヶ月、1歳、2歳のときに被爆した中村元子さん、杉野信子さん、坂下紀子さんら、若手の被爆者のみなさんだったように思います。自分の記憶ではないご両親や家族などから聞いてきた原爆の経験を、人々の前で語ること。その葛藤やプレッシャーと闘いながらも、日本とは遠く離れた地で全く異なる戦争の経験を語る当事者との出会いを通して「本人が語ることが出来ない(出来なくなる)いま、自分が語っていかなくては。」そんな意識が強く芽生えていらっしゃるようでした。(各寄港地活動は、★2から)

アウシュヴィッツ・ミュージアムにて
真剣な眼差しで説明を聞く坂下紀子さん(広島被爆、当時2歳)

そのように、被爆者の皆さんもユースの2人も、それぞれのタイミングで様々なきっかけを得る中で「継承」についての考え方が少しずつ、確実に変化していったように思います。そこから、ユースの2人は、次は彼女たち自身が「架け橋」となって、必ずしも核や平和の問題に関心があるわけではない若者たちと一緒に考えるきっかけ、被爆者と出会うきっかけをつくり、さらに「被爆証言」を、演劇や芸術、歌、映像など新たなかたちに生まれ変えさせたのです。(被爆証言から生まれた歌「カンナの花」は、★3から)

帰国後、8月上旬に広島、長崎、東京で行った船旅の報告会では、広島・長崎の会を福岡さんが、東京の会を浜田さんが内容を考え司会・進行を行ってくれたのですが、会自体がそれぞれが思う「継承」のかたちを実践するという、同じプロジェクトの報告会でも全く別の空間となりました。

さらに嬉しいことに、この報告会には航海の中でプロジェクトに携わってくださった方々が、日本全国から駆けつけそれぞれの言葉で「知ること」「考えること」「動くこと」の大切さを語ってくれました。

8月5日広島で行った報告会にて
ユース浜田さん演出の舞台に参加したときの様子を語ってくれています

報告会後の交流会の様子

来年、戦後70年を迎えるにあたり、様々な場面で「被爆証言の継承」をテーマに議論されています。今回の旅を通して、私は、いま私たちに必要なのは、核や平和の問題を考えるための「多様な入り口(と階段)」そして「場づくり」ではないかと思っています。

多くの方々は「無関心」なのではなく、むしろ考える「きっかけ」や「入り口」にこれまで出会う機会が少なかっただけなのではないかと思います。そのきっかけや入り口をつくるのは、どうも被爆者本人では難しい。戦争というものを想像しがたい戦後生まれの私たちには、彼らの言葉はどうしても重く感じられてしまうのです。被爆者や戦争体験者の言葉を受け止めるには、それぞれに合った入り口や階段が必要であるように思います。だからこそ、被爆者とその声を受け止めて欲しい人々とを繋いでくれる、「架け橋」としてのユースの存在が重要になってくるのです。

ユース浜田さんの演出・脚本の舞台「智恵子抄」の打ち上げの様子

被爆者の皆さんは、もともと語り手のプロでも役者でもありません。人生の中でも最も辛く苦しい記憶を掘り起こして言葉にしていらっしゃいます。一方で、今後聞き手となっていく若い方々は、被爆者の皆さんと生まれ育った時代も価値観も違います。この両者の間に存在する大きな溝を嘆いたり知らないふりをしていては、互いの思いを共有することはとても難しいです。

その溝を埋めるためには、何よりも信頼関係や想像力、思いやりが必要であり、また、それらを築き上げるためにも共に過ごす「時間」が多ければ多いほど理解し合えるのではないでしょうか。この聞き手・語り手の関係が、共に活動する良き「パートナー」「仲間」という関係になってはじめて、より広く様々な人々に訴えかけるムーブメントが生み出されるのだと思います。

2014年1月。広島にて初めての顔合わせ
まだユース2名は決まっていませんでした

最後になりましたが、今回の航海を築き上げるにあたり、本当にたくさんの方々にご協力・ご支援いただきました。心より感謝しております。どうもありがとうございました。

また、試行錯誤しながら、時にぶつかりながらでも、互いに向き合うことをやめず104日間の長く濃い航海を全うしてくださった10名のプロジェクト参加者の皆さんを心より尊敬しています。あらためて、おつかれさまでした!

6月24日横浜帰航日。全員で集合写真

【関連リンクなど】
★1.第7回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」の活動報告書はこちらからダウンロードいただけます

★2.各寄港地での活動の様子は、ユースの2人が丁寧に綴ってくれたこちらのブログをご覧ください。
(1)3月20日ムアラ(ブルネイ)
(2)3月23日シンガポール
(3)3月28日コロンボ(スリランカ)
(4)4月9~10日アカバ(ヨルダン)浜田あゆみ編福岡奈織編
(5)4月14~18日アウシュヴィッツ特別プログラム 現地訪問編船内報告編
(6)4月20日コトル(モンテネグロ)
(7)4月24日モトリル(スペイン)
(8)4月26~5月6日ニューヨーク特別プログラムニューヨークで学んだこと(瀬戸麻由さん)
(9)5月7~8日ラグアイラ(ベネズエラ)
(10)5月19日カヤオ(ペルー)
(11)5月26日ラパヌイ
(12)6月2日パペーテ(タヒチ)
(13)6月12日ホノルル(ハワイイ)

★3.広島で2歳の時に被爆した坂下紀子さんの被爆証言から生まれた歌「カンナの花」が8月8日に長崎のラジオ番組で紹介されました。こちらのNBC長崎放送のウェブページからお聞きいただけます。ウェブページの下部「今朝のコラム⇒8月8日(金)放送分」をクリックしてみてください。ラジオ収録の様子はこちらのブログ記事よりご覧いただけます。

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2015年4月には第8回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」を実施します。今後とも、おりづるプロジェクトをどうぞよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございました。

(ピースボート 古賀早織)

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