おりづるプロジェクトのメンバーは、一時本船から離れ、アウシュビッツとジュネーブの国連軍縮本部を訪れるオーバーランドツアーに行ってきました(3月8-15日)。今日はそのなかでもアウシュビッツの報告レポートをお送りします。
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3月9日、午後。マドリッドからポーランド南部アウシュビッツに着く。車窓に流れる冬枯れの寒々とした荒涼たる大地。今から約70年前、ここがナチスドイツが主としてユダヤ人に対し、大虐殺を行った地かと思えば、加害者、被害者双方に想いを致し、私の胸は深く沈んだ。
翌3月10日、強制収容所を訪れる。物言わぬ殺された人々の衣服、めがね、靴、鞄、人形、食器、義足など数々の展示物は、絶望と怒りの中に自分の悲しい運命を委ねた人々の想いが私の胸に重くのしかかる。人間とはかくまで非常なのか。人間とはかくまで残酷なのか。私の足取りは重く沈み勝ちであった。
アウシュビッツ訪問
夜、アウシュビッツに見学勉強にきていたドイツ学生(16歳~17歳)15人と仲良くなり、私の被爆体験を聞かせてくれとのこと。私は原爆の被害者であると同時に、戦争への加害者であることを語った。ドイツ学生より、原爆、戦争、平和など質問があるも、通訳者のすばらしいサポートで実に稔り多い対話をすることが出来た。昼間感じたあの重々しい気持ちから、学生たちの将来に向かって希望あふれる力強い姿に接し、私の心は次第に明るさを取り戻した。
3月11日、朝宿舎ホールにあるテレビで日本の大地震と大津波のニュースが飛び込んできた。我が目を疑う大惨事。再び胸がふさがる想いがした。午前中、ポーランド学生たちと交流会を済まし、午後再び収容所を訪れる。物言わぬ一人一人の顔写真が次々と私に語りかけ、体調を崩し途中で見学を切り上げた。
3月12日早朝、4時50分。列車でワルシャワへ行くため宿舎ホールへ降りたところ、すでにドイツ学生3名が来ており、私にお礼のタオルをくれた。15名の名前と「ありがとう」「DANKE」に日独双方の国旗が書いてある。大感激だった。ありがとうドイツ学生!彼らに幸多き将来を!
アウシュビッツ収容所を訪れて、改めて自分を考える。人間とは一体何なのか。かくも残酷非常になれるのか。生きる望みを失いながらも平然と過ごせるのか。お前はこのような加害者には絶対ならないと断言できるのか。お前はこのような被害者になった時、どのように生きてゆくのか。私はこの双方に正しい答えを見いだすことが出来ない。(広島被爆者・平井昭三)
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