2015年7月25日、第8回おりづるプロジェクトは105日間の証言の航海を終えて、無事に帰国しました。遅くなってしまいましたが、クルーズ中の寄港地プログラム報告をさせていただきます。
記録ドキュメンタリー映像:『I Was Her Age /過去と今の対話』
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2015年6月3日、ドイツのヴァルネミュンデ港に降り立ちました。
ドイツでは2つのオーバーランドツアーが行われました。
一つは、3人の被爆者とユース1人が行ったハンブルグ。もう一つが1人の被爆者の参加したベルリンでの国際セミナーです。
ハンブルグ市長の受け入れと、ワールド・フューチャー・カウンシルのホルガー・グッセフェルドさんのお陰で証言会が実現しました。第二次世界大戦のハンブルグ空襲で破壊され、今は反戦の記念碑となっている聖ニコライ教会で、ハンブルグ空襲の生存者3名と被爆者3名の直接の出会いが実現しました。両者の経験を共有し、そこから若い世代にどのように継承するかが議論されました。会場には100名の市民。その中には、ハンブルグ市長、14歳から18歳の高校生が60名弱、メディアやNGO関係者が40名ほどが含まれました。
この記念すべき対面を目の当たりにしたドイツの若者から出てきた質問や感想は、、、、予想に反して日本の若者と大変似ていました。つまり「日々の学業や生活に追われ、歴史から学び語り継いでいくことに高いハードルを感じている」というのです。衝撃を受けるとともに、少し安心するような、不思議な感じを覚えました。
2時間の証言会は、テレビでよく見るようなトークショーのようで、聞いている人にわかりやすく、しかも両者の言い分や思いを上手に聞き出すようなものでした。でも、実際に本人たちがリラックスしてゆっくりと話し、仲良くなったのは私たちが宿泊していたハンブルグ市議会のゲストハウスでした。
この素晴らし過ぎるゲストハウスは、1868年に建設され、1965年からゲストハウスとして使われています。湖沿いで、別荘のような雰囲気。過去には、シャルル・ド・ゴール、エリザベス2世、ダイアナ姫、ヘンリー・キッシンジャー、ダライ・ラマ、ヤーセル・アラファトもこのゲストハウスに宿泊しました。
このゲストハウスの落ち着いたダイニングと湖沿いのベランダで、一緒に食事をし、手を取り合ってお互いの生きてきた日々に敬意を払いました。船の上では、かなりシニアである被爆者のみなさん、特に最高齢の三宅さんも、ここでは90代のハンブルグのおばあちゃまに「これからまだまだ頑張って」と励まされていました。いつもは落ち着いた態度の70代の伊藤さんはすっかり息子に返ったようにはしゃいでいて、写真を撮ろうとすると一番後ろの列で飛び跳ねていました。
若い人たちに継承していくことも大切ですが、国を超えて同年代と交流することも、おりづる被爆者のみなさんにとっては「またとない貴重な機会」になったようです。
一方、もう一つのオーバーランドツアー、ベルリンでは堀江さんが一人で、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とドイツ・ハインリッヒ・ベル財団の共催で開かれた国際セミナーに参加しました。
核軍縮に関するセミナーで、20-70代の人々に被爆体験を証言して、テレビの生中継もされました。「当日はどんなことが起きましたか?」「やけどはしたのですか?」「悲惨さを訴えるのみで平和は来るのですか?」などの質問を受けました。そして、これからの核廃絶をいかに進めて行くべきかを参加者と議論しました。世界の状況は厳しいですが、NGOや市民の動きは前進していると感じました。
そして、2020年までに原発廃止を宣言しているドイツで、原爆のことだけではなく、日本の原発問題についても問題提起しました。「人を殺す兵器ではなく、人を喜ばせる仕事について欲しい。そういった産業を作って欲しい」と訴えたところ、大きな拍手がわき起こりました。
(文・おりづるユース 橋本昭博 おりづる被爆者 堀江壯、スタッフ 渡辺里香 / 写真・鈴木慧南)
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