3.核廃絶へのいろいろな動き

メディアと福島の子どもたちの声

8月5日と6日、広島ではいろいろなイベントが開催されました。そのなかで、二つのイベントに参加をさせていただきましたので、少し内容をご紹介します。

一つは、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)主催の
「2012 MIC広島フォーラム 原爆から原発 ~いまメディアに問われること~」。

広島パシフィックホテルで行われたこの会には多くのメディア関係者が来場しているようでした。

会の中で、朝日新聞編集委員の上丸洋一さんは、「原子力の話が戦後メディアに載ったのは、1945年8月16日。原爆投下直後、広島や長崎で多くの人が原爆の被害にもがいているその最中、すでに新聞には原子力が未来のエネルギーになるだろうという記事を書いていた」と話しました。また「未来のエネルギー」「平和利用」といった表現は言葉の魔術であり、「平和利用」とは「商業利用」のことであり、そんな言葉の魔術により事実を隠す体質が成り立ってきていたことも語られました。

また、日本テレビ勤務を経てメディア総合研究所研究員である加藤久晴さんは、テレビのCMや番組がスポンサーである電力会社の影響をどれほど受けてきたのか、また反/脱原発CMへの圧力などもお話されました。ちなみに1979年には都民に対し、異常な量の原発推進CMが放送されたとのこと。加藤さんのお話は本当に口が塞がらないテレビ業界のエピソードが多くありました。

一方、福島市民のリアルな声を聞いたのが、
「8・6ヒロシマ国際対話集会-反核の夕べ2012
福島から広島が学ぶこと ~放射線被害を断ち切るために~」。

この会でのスピーカーのお一人が南相馬市在住で詩人の若松丈太郎さん。静かにポツポツと、様々な話をしてくださいました。その中でも印象的だったのは、子どもたちへのアンケートの結果でした。そのアンケートは「今一番知りたいこと」がテーマだったそうです。その返答は以下のようなものでした。

「原発は本当は今どうなっているのですか」

「じいちゃんちのスイカは食べられますか」

「将来子どもは産めますか」

「東電と原子力安全・保安院がついたウソの数が知りたい」

子どもたちがこんなことを書くのか—、そのお話を聞いた会場は深い大きなため息と心苦しい思い
に包まれました。

戦後復興の中で、たしかに多くの人々にとって原子力は「未来のエネルギー」であり、それが一つの「希望」だったかもしれません。しかし、それは虚像でありその「未来のエネルギー」はむしろ「未来」を壊し多くの人々の「希望」を奪ってしまいました。

今回、この二つのイベントに参加し、改めて子どもたちの声がきちんと政府や関係者に届くよう、まだまだがんばらなければならないと感じました。

(上 泰歩)

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