2012年8月の広島・長崎を振り返るブログ、最終回は長崎で行われた軍縮・不拡散教育グローバル・フォーラムの様子をお伝えします。
このフォーラムは、外務省と国連大学が共同で開催したもので、8月10日と11日に長崎の原爆資料館ホールにて行われました。2日間を通して、世界での核廃絶の動きや、軍縮教育に関して様々な議論がなされました。海外からも多数のゲストが参加されました。
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ピースボートはブース出展もさせてもらいました。
第5回おりづる参加被爆者の小川忠義さん(長崎)が写真パネルを作ってくれました!
そして、2日目の「NGOの見解と経験」というセッションではピースボート共同代表の川崎哲もパネリストとして発言しました!!
発言をするピースボート共同代表・川崎哲。隣に座っているのはキャスリン・サリバンさん
主におりづるプロジェクトの経験やこれまでの活動・成果などを紹介した上で、今後の課題として、若い世代で核問題を語る能力のある人材を育成する必要性を強調しました。
若い世代は被爆経験がないかわりに、グローバル・ヒバクシャの存在や世界の核問題などを各国の歴史的背景や現在の政治状況などを加味しながら伝える能力が必要となります。そして、それを公的に認知することが重要です。例えば広島市や国連などが認知し、定期的に活動機会を提供したり何らかの報酬(かならずしもお金ではなくても、学生なら単位、社会人なら評価など)を与えることで、このような人材が今後被爆者の後を継いで語れるようになるのでは、と提案しました。
他にも、第75回クルーズにも乗船された水先案内人のキャスリン・サリバンさんも登壇しご自身のニューヨークでの活動について発言されました。
最後の質問タイムでは、第72回クルーズのグローバル・ヒバクシャ・フォーラムに参加した高校生平和大使の山口真莉絵さんが、ピースボートのおりづるプロジェクトに参加した経験から、「私はピースボートでタヒチやオーストラリアなど他国の核被害者について学びました。そして、世界の核被害者が連携していくことがとても重要だと思いました。ピースボートには、これからもこのような学びの機会を多くの人に提供してくれることを期待しています。」と発言しました。
午後には、カザフスタンから来られた記者の方と、第1回おりづる参加者で2011年にカザフスタンで証言をされた本村チヨ子さんが再開する場面に同席させてもらいました。一緒にいた時間は短くても、言葉が通じなくても、心を許し通じ合えることがあるんだと、不思議な体験をさせてもらいました。
この夏の報告会をもって、私のサポートスタッフとしての業務は終了しました。
おりづるプロジェクトに関わって、そして同行スタッフとして一緒に証言の航海に参加することで、私自身、本当に多くのことを学びました。核廃絶に向けた希望を感じつつも、その難しさも痛感しました。核廃絶を実現するためにはまだ時間がかかると感じることもたくさんありました。でも、その中でも今緊急を要していることは、被爆証言をつなげていくことだと感じました。私たちの世代には、被爆証言を聞くだけではなく、世界の様々な状況を加味しながら核兵器について語ることのできる人材を育てていく必要があると思いました。被爆者から直接核兵器の恐ろしさを聞いた人が世界に伝えていかなければ、被爆者の皆さんがずっと伝え続けている人道的な意見を伝えていく人はいなくなってしまうでしょう。そして、それは絶対に避けなければならないことです。
残念ながら、平和を職業にすることは現在の日本では非常に難しい選択です。しかし、自分の生活の中に平和構築を取り入れていくことは可能だと思います。今回のおりづるプロジェクトに関わったすべての人が少しずつ自分の世界の中で核問題を意識していくこと、核廃絶のために行動していくこと、そして、おりづるプロジェクトのつながりがクルーズを越えてつながっていくことが未来へ繋がっていくと感じています。
第5回おりづるプロジェクトのサポートスタッフとしての業務は終了しましたが、クルーズから夏までを振り返りながら、微力ながらも、これからもずっとおりづるプロジェクトのサポーターでありたいと思います。
(サポートスタッフ 坂口理香)
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