3.核廃絶へのいろいろな動き

おりづるインターンの鈴木 俊平です

みなさん、はじめまして。
先月よりおりづるインターンとして活動している鈴木 俊平です。みなさんとはこのブログでの活動や広島、長崎式典参加のための出張でお会いした方もいらっしゃると思います。この場をお借りして、改めて自己紹介させていただきたいと思います。

生まれは福島県会津若松なのですが、育ちは神奈川県の藤沢です。現在は都内の大学で異文化コミュニケーションを学んでいます。この学部では英語とスペイン語や人種差別、言語が社会に与える影響などを研究しています。
小さいときからサッカーをしています。読書が好きで、小説などよりはルポやノンフィクション、歴史に関する本を読みます。

スペインとカナダにそれぞれ住んでいたことがあります。そこでは韓国人や中国人の人たちと関わることがあったのですが、自分が今まで学んできた歴史とはまったく違う視点や考えがあることに驚いたことを覚えています。
それ故、今日の日中間の歴史認識問題やアメリカ始め欧米の領土問題や戦争責任などを自分で調べています。

$    ピースボートのおりづるプロジェクト
平和市長会議に参加時にて(左端:鈴木)

私がおりづるプロジェクトに興味を持ったのは、一昨年の東日本大震災が理由です。
1000年に一度と言われる大震災、そして誘発された津波は沿岸一体の市町村を破壊するだけでなく、福島にある原発の機能を停止させ、周辺に放射能をまき散らしました。それにより生まれ故郷から強制避難をさせられ、将来に希望が持てない市民が多くいます。また震災直後繰り返された「絆」という言葉は時間が経つにつれ消えていきました。

安全神話により語られずにきた原発のリスクや危険性、被災地の方々の言葉などは後世に渡って伝え続かなければなりません。

3月11日以降、原発に関する資料を読み込んだり被災者の方々の講演会などに参加して感じた事は、原発を知るには原爆はじめ、「原子力」の歴史を学ばなければいけないこと、原爆により被爆した方々と今回の福島原発によって放射線を浴びてしまった方々を取り囲む社会のあり方に共通点が数多くあると言うことです。

核のリスクやデメリットなどは誰でも語り継ぐことが出来るかもしれません。しかし、核により被害を受けた被爆者の方々の苦しみやもどかしさはその本人にしか語ることは出来ないと思います。またそれを語るには相当の勇気と覚悟が必要だと思います。

そのような方達のためになにかお手伝いできればと思い、おりづるプロジェクトのインターンに応募しました。

世界で唯一、原爆を落とされ甚大な被害を被った国にも関わらず、核の傘の下に身を置き、原発を50以上も保有する日本。核兵器が及ぼす非人道性に関する共同声明に賛同せず、原発に関する国民的議論が熟していないにも関わらず世界へ原発を売り出しています。その中には核不拡散条約に非加盟でありながら核兵器を保有しているインドも含まれています。

原爆も一昨年の原発事故も日本だけでなく、世界の問題でもあります。そんななか、被爆者の方々の「声」は核のない平和な世界に向けての大きな力となります。

このインターンを通して、被爆者の「声」を社会に伝えていくために頑張りますので、みなさん、宜しくお願いいたします。

おりづるインターン 鈴木 俊平

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