3.核廃絶へのいろいろな動き

福山大空襲から人権を考えるー福山市人権平和資料館

こんにちは、ピースボートセンターおおさか スタッフの中田です。
普段、中国・四国に出張することが多いのですが、先週は広島県福山市に訪れる機会がありました。
原爆投下の他に、当時どんな被害があったのだろう?と、福山市周辺の戦時被害について調べてみました。


福山市人権平和資料館

福山駅からほど近く、福山城のお隣にある『福山市人権平和資料館』に伺いました。
「人権を尊重することは世界平和の基礎」という世界人権宣言の精神をメインテーマとする資料館です。
「福山空襲の実相と戦時下のくらし」という平和展示と共に、人権部門として「部落の歴史と解放のあゆみ」を常設展示しています。


福山市戦災死没者慰霊の像(母子三人像)

見上げると、頭上にはB29の機体模型が浮かび、背景には黒い空、赤く燃える炎が描かれており、当時の情景を想像させます。
福山市は1945年8月8日、空襲によって市街地の8割を焼失し、壊滅的な被害を受けています。


福山空襲によって焼失した家屋
福山市における戦災の状況>はこちらをご覧下さい。

再現された戦時下の食事や栄養源には、昆虫や木の皮など、現在の日本の暮らしでは食べないものがずらっと並んでおり、生活必需品として使っていたわずかな金属やお寺の鐘ですらも武器を作る為に集められたという展示も。
戦争とは、こんなにも生活を一変させるものなのかと感じさせられる展示や写真が並びます。


戦時下の食事を再現。


カルシウム源や薬に使われたもの


写真左、玄米を精米する赤ちゃん。少国民と呼ばれた子どもたち

こんなにも生活が変わるのか、と特に痛感したのは、当時の子どもたちの様子です。
小学生が「少国民」と呼ばれるようになり、軍事訓練を受ける日常。

関連して目が離せなかったのが、「地図から消された島」と呼ばれる大久野島のことです。ここでは、兵器としての毒ガス製造に子どもたちも強制的に動員されていたそうです。
館内閲覧の本に、当時のヒロシマの子どもたちの様子について描かれた絵本がありました。

大久野島で動員された日々を綴った絵本
絵で語る子どもたちの太平洋戦争 ―毒ガス島・ヒロシマ・少国民
岡田 黎子 (著)
著者の岡田さんが体験された当時の様子を思い起こして絵本にされたようです。
何を作っているかも知らされず働いたという、当時の島での様子を中心に詳細に描かれています。

また、同和問題の展示では、貧しい暮らしや差別の中で、団結し合って地域を守った人々の様子が展示されています。
戦争と差別、というと全く別の問題のように思いますが、「人権」を無視した行動としては同じ。「人と人との連帯」で、様々な問題を乗り越えていくことの大切さを実感させられました。

火事の声とともに現場にかけつける団結の様子

そんな戦災と同和問題、世界の平和運動のうねりの中で、平和非核都市となり、現在も市民学習を行っているそうです。


1984年に平和非核都市となった福山市

資料館のシンボルマークは「人権を尊重することが 世界平和の基礎」であることを明らかにした、世界人権宣言の40周年を記念してつくられたもの。外側の輪は「平和と実り」を表すオリーブの葉を、輪の中の炎は「いのち」を象徴するものとなっています。

世界人権宣言の40周年を記念してつくられたもの

今回訪れた福山市人権平和資料館は、地域ならではの物や歴史の展示がされており、自分自身のゆかりの地や大きな被害を受けた土地での戦災はどうだったのか。そして広島・長崎の被爆の実相に加え、日本という国、世界の戦災について考える機会となりました。

現在は、戦争や震災の跡も分からない位に整備された関西の街に暮らしている私ですが、自分自身の親や祖父母世代が、戦時下でどんな風に暮らしていたのかともっと深く学んでいきたいと思っています。

ピースボートスタッフ 中田智子(なかた のりこ)

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