オーストラリアでの2つ目の寄港地、アデレードでは「核被害を経験した先住民に学ぶ」と題したオプショナルツアーを行いました。乗客の皆さんとオーストラリアの核被害における生の声を聞くという貴重な機会になりました。
「(ウランという)毒はそのまま触らずに残しておけ」と言われてきた。
自分たちの住んでいたところに外国人たちが入ってきた。
そのひとたちに文化も住むところも言語も奪われた。
そして、核実験も行われた。
「生きる文化を持った先住民の方々が、大切なものを奪われてきた・奪われているその歴史と、それでもなお立ち上がり闘い続ける姿を目の前に胸がしめつけられました。
どんな苦しみなのか、どんなに長い闘いなのか、想像が及ばないのです。
そしてもうひとつ、今回はじめて耳にしたことがあります。
『「ウランは危険である」と言われてきた。
それが他の場所で使われることを恐れていた。
広島での出来事が起こってしまった時、わたしたちのウランが他の国の人々を傷つけることになるなんて、ととても悲しんだ。
6ヶ月間もの間、体に白い粉を塗り、アボリジニの伝統的な方法で喪に服した。
そしてそのことは今でも心を痛めている』
そう語った先住民の方。
私は広島に生まれ育ち、多くの被爆者の話を聞いてきましたが、広島から遠く離れたオーストラリアの地で6ヶ月間も、地獄と化したヒロシマのことを想ってくれていたということをはじめて耳にしました。
そして「申し訳ない。本当にごめんなさい。」と謝るその姿に、涙が溢れました。
広島と同じように核によって傷ついてきた多くの先住民。
そしてそれをどうにか食い止めようと闘ってきた方々が、どうして謝らなければならないのか。そんな複雑な気持ちに、胸がいっぱいになりました。
核産業、核エネルギー、核廃棄物、核兵器。
ヒバクシャを生みうるその脅威と、どうして共に生きてく必要があるのでしょうか。ヒバクシャになるのはいつも市民です。誰かの大事なひとです。
いつまでそんな構造を受け入れていくのでしょうか。
そんな、原点に立ち返ることができる時間となりました。
最後には皆さんと一緒に「わたしたちは核にNO」という横断幕を作りました。それぞれ想いをこめて筆を持ちます。
ピースボート共同代表の川崎は「核のない世界へ」の願いをこめて。
核における問題だけでも頭が痛くなりそうな社会に生きているわたしたち。
でもそれでも、新たなヒバクシャが生まれないように行動し続けたいと強く思います。
Yes I can. わたしたちで変化をおこそう、一緒に。
文:おりづるユース 安藤真子
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