1.ヒバクシャ証言の航海

被爆者の方と旅した私の56日間

こんにちは、おりづるユースの安藤真子です。

96回クルーズのおりづるブログもとうとう終わりを迎えてしまいました。

今回は、《被爆者の方と旅した私の56日間》についてお伝えしたいと思います。

振り返って一番強く思うのは

「96回のおりづるユースで良かった」

ということです。

全ての出逢いが私の学びでした。

募集が出ていることを知ったあの時、15秒悩んで応募を決めた自分に、いま「ありがとう」と言いたいほどです。

——

私は広島の出身で、「生の声を聞ける最後の世代」と言われながら育ちました。

高校時代から平和活動に携わり、被爆者の方々にインタビューを重ねてきました。

しかし、約2ヶ月という長期に渡って毎日被爆者の方とコミュニケーションをとれるという環境は初めてでした。

誰も知り合いがいない船に乗り込んだ私は、「被爆者の三宅さん、平田さん、杉野さんに出逢いました。そしていつの間にか、大好きなおじいちゃんおばあちゃんである「三宅さん」「平田さん」「杉野さん」に変わっていました。

おりづるプロジェクトに関連する時間だけでなく、毎日、夕食を一緒に食べ、お酒を飲みながらお喋りをしました。

毎日会っているのに、たまたま船内で姿を見かけると嬉しくなるのは私のほうでした。寄港地でもビールやワインで乾杯し、手づかみでフィッシュ&チップスを楽しみ…。おりづるユースとしての任務はもちろんですが、それ以上に、大好きなみなさんと沢山の時間を共に過ごさせてもらいました。

これまでも広島の平和公園に足を運ぶたびに、「あの日」わたしのふるさとで起こったことを想像しようとしました。想像しようとするだけで胸が張り裂けそうになるのに、実際に被爆した方や原爆によって大事な人を失った人はどんな想いになるのだろうか、と考えていました。

平和公園の中に、「原爆供養塔」という慰霊碑があります。

身元が判明しない、もしくは判明していても引き取り手が(一家全滅などで)ない遺骨が収められている慰霊碑です。

今回乗船されていた杉野さんはお兄さんを原爆で亡くされ、どう被爆し亡くなったのかも分かっていません。その話を聞いていたからか、帰省し平和公園を訪れ、供養塔の前に立った時に涙が溢れてきました。

そして奇遇なことに、平田さんの被爆した場所はまさに私の実家周辺でした。

私が慣れ親しんだ地元の公園は多くの遺体を焼いた場所だったと聞いていましたし、地元の被爆もなんとなくは知っていました。しかし、こんなにも近くであの日被爆された方に出会ったのは初めてでした。

56日間を共に過ごすことで、以前よりも想いを馳せることができる範囲が広く、そして濃くなったような気がします。

また、なんといっても今回のキーワードは「オーストラリア」です。

オーストラリア特別編というサブタイトルにふさわしく、広島・長崎の被爆者、福島原発事故の被害者、オーストラリアでの核実験による被害者、ウラン採掘反対のアボリジニの方々、ICAN関係者と乗船していたことを考えても、あの日々がいかに学びに満ちていたかを思い出します。

毎日心が震え、ひとつひとつを大事にしたいのに、ものすごいスピードで過ぎた時期でした。

これまで「ヒロシマ」はもちろん、「核」という広いテーマとしてこの問題に対する意識を持っていたつもりでしたが、今回、オーストラリアの方々のお話を聞くことで、まだまだ「グローバルヒバクシャ」の視点が足りていないと実感することができました。

この核世界にわたしたちは生きていて、誰が「ヒバクシャ」になってもおかしくない。

「そんな世界は嫌だ」

「これから生きる人々をヒバクシャにはしたくない」

この願いを世界中の人々が持っていると感じることができました。

世界中の「ヒバク」を繋ぐことで、核に「No」をつきつける声を大きくすることができると思います。核は過去のことではありません。いま、わたしたちが核と生きているということをもっと多くの方に感じてもらいたいです。

核の被害を受けるのは、いつも誰かの大事なひとです。

アボリジニの方々は受け継ぎ守り続けてきた教え・文化・大地を核によって傷つけられ続けています。ウラン鉱山を自分たちの意思に反して切り拓けられ、アボリジニが大事にしてきた土地は核産業になくてはならない場所になりました。

しかし彼らは私たちに「広島や福島のできごとを申し訳なく思う」と涙ぐみながら言います。核実験の被害者になり、加えて長年核産業と戦い続けてきた彼らが、です。

彼らを目の前にすると、どうして「核」が必要なのかますます分からなくなります。

だれもヒバクシャにしない未来のために、何ができるのか。

これからも「核」というテーマに向き合う思いを新たにしました。

「生の声を聞ける最後の世代」と言われてきた意味を噛みしめることのできる56日間でした。「ヒバクシャ」という存在は遠く離れた凄い人間ではなく、わたしと同じ、誰かの大事なひとであるということを感覚として捉えることができました。いつか、その声を聞く事ができなくなった時に、私が出逢った方々の声が無かったことにならないように。そんな生き方をしたいと思います。

今聞く事のできる声のそばにいたいと、心底思いました。

だからこそ、次の選択をしようと思っています。

「ノーモア・ヒバクシャ」

という願いをこめて。

文:おりづるユース 安藤真子

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