自分は母であり、叔母であり、祖母でもあると自己紹介を始めたスー・コールマン・ハセルダインさん(通称アンティー・スーさん)は、淡々と自分の活動や被爆に関する話をしてくださいました。
スーさんは、南オーストラリア西海岸の先住民コカタ族の女性です。1950年代マラリンガで核実験が行われていた時代にこの土地に生まれ育ち、これまでずっと核兵器や放射能廃棄物、民族の聖なる土地で有害鉱物を採掘することや人権が侵害されることに反対してきました。
1952年から1963年にかけてイギリス政府は、オーストラリア政府の積極的な参加のもと、南オーストラリア州内陸部と西オーストラリア州沖で12回の大規模な核実験と、最大600回のいわゆる「小規模実験」を実施しました。その結果、(下の写真のように)核実験による放射法汚染は大陸のほぼ全域で検出されました。そして、実験当初から数十年にわたり、政府は健康への危険性を否定、無視し、隠蔽しました。
癌に苦しむ人々、甲状腺の異常、被爆後に生まれてくる子供たちの変化。イギリスの政府により、「不毛の地」と呼ばれた先住民たちの土地で行われた核実験。広範囲の地域を汚染させ、彼女の村もその中の一つでした。スーさんはその全てを自分の部族、自分の土地で目の当たりにしてきたのです。先住民と一言で言っても数百もの部族がありますが、どの部族にとっても土地は大切なものでした。その土地で、子どもを産み育て、食べ物を育て、文化を育むことこそが重要なのに、その土地が核実験によって汚されてしまったわけです。だから、その地を離れなくてはならなくなっても、その地を思うのだそうです。政府は国民の安全を守ることもできず、危険を知らせる看板は英語でしか書いておらず、オーストラリアで長きにわたって疎外され、虐げされてきた先住民は、今も続くこの惨禍の被害を被っています。
しかし、核による被害はこれだけに止まりません。何十年にもわたってオーストラリア政府はウラン採掘を行い、輸出し、特にアメリカとイギリスでの核兵器製造を支えてきたのです。スーさんはウランの使い道やその影響について調べました。「採掘により自分の国の人たちが汚染で苦しむだけでなく、福島の原発事故により海外の多くの人々も大変な思いをしていると知りました。未だ先住民たちは自分の国に戻れずにいます。ウランは地中に置いておくべきであって、決してそれを掘り出すべきではありませんでした。採掘や使用することで発生する放射性廃棄物の処理場を、また先住民の土地に設置しようとする動きに脅かされています。」と話してくれました。先住民が抱える課題は、ウラン鉱山や廃棄施設だけではなく、貧困・教育・就職やドラック・飲酒に至るまで、様々なことが残っています。
最後に「この場を通して、参加者の皆さんも核について考えてみる時間を持ってほしい」と伝えました。ICAN関係で国連でもスピーチをしたことがあるスーさんは、核兵器禁止条約にオーストラリアの政府が署名・批准していないことを恥ずかしく思っていました。日本も広島や長崎、ビキニや福島を経験したにもかかわらず、この核兵器禁止条約への署名・批准が遅れています。オーストラリアにも、日本にも、課題がまだたくさん残っていることを再認識しながら、今後の活動も続けていく必要性に気付かせてくれました。
英語の記事はこちら:
■All Aboard: Peace Boat hosts ICAN Workshops across Australia
https://peaceboat.org/english/news/all-aboard-ican-australia
■Stories of the Black Mist: First Nation anti-nuclear activists share testimonies on Peace Boat
https://peaceboat.org/english/news/stories-of-the-black-mist
■All Aboard Peace Boat’s Australian Tour
文・写真:ピースボート 鄭銀貞(シルビー)
編集:ピースボート 渡辺里香