3.核廃絶へのいろいろな動き

「核兵器禁止条約」発効を前に 被爆者が日本政府に参加求めました

2021年1月21日、核兵器の開発や保有などを禁じる「核兵器禁止条約」が明日発効するのを前に日本被団協事務局次長の児玉三智子さんと和田征子さん、ICAN国際運営委員/ピースボート共同代表 の川崎哲が日本外国特派員協会にて記者会見を開きました。

「被爆者の願いである『核兵器禁止条約』が歴史に刻まれ、核兵器は違法化されます。こんな嬉しいことはありません。」(児玉さん)「核兵器の人道的な影響に立脚した条約が誕生します。希望と力を生み出します。明日からこそ、私たちの活動は始まるのです。日本政府の、そして核保有国・核の傘の下の政府への決断を促し続けます。」(和田さん)「核兵器禁止条約は世界のリーダーに核軍縮への真剣な意思を問うています」(川崎)と述べ、日本政府に対して条約に参加するよう求めました。

また、被団協の呼び掛けで2016年に始まった全ての国に条約参加を求める「ヒバクシャ国際署名」は昨年末までに1370万2345筆が集まったことも報告しました。

 

会見はライブストリーミングでも配信されました。

<メディア報道>
◆2021年1月21日NHKニュース
「核兵器禁止条約」発効を前に 被爆者が日本政府に参加求める
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210121/k10012826241000.html?fbclid=IwAR19Tai_RDGBGmNrbrV0p-EOWxq-FsbbANPxVcRl6_WTshcwULYPRSr102o

◆2021年1月21日 共同通信
被爆者「日本政府は早く批准を」
核兵器禁止条約が22日発効
https://this.kiji.is/724821373528588288?c=39550187727945729&fbclid=IwAR0IzvMsa_2v1jTjOhU2nqRoDGd6zJ7MdTgiztddwNEh2lyWgOWYW7suFDI

◆2021年1月21日 産経新聞
被爆者10+ 件団体幹部ら記者会見 核禁止条約、あす発効

https://www.sankei.com/life/news/210121/lif2101210011-n1.html

◆2021年1月21日Sankeibiz
被爆者団体幹部ら記者会見 核禁止条約、あす22日発効
https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/210121/cpd2101211250005-n1.htm

◆2021年1月21日 北海道新聞
被爆者「日本政府は早く批准を」 核兵器禁止条約が22日発効
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/503265

◆2021年1月21日 NHK World
Hibakusha speak on UN pact taking effect on Friday
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20210121_28/

◆2021年1月21日 Japan Times
A-bomb survivors urge Biden administration to join U.N. nuclear treaty
https://www.japantimes.co.jp/news/2021/01/21/national/nuclear-ban-treaty-biden/

◆2021年1月22日 時事通信
被爆者ら、日本の不参加「残念に思う」 核兵器禁止条約発効
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012200162

ーーー

<編集後記>

記者会見での被爆証言の中で児玉さん、和田さんのそれぞれの経験に大変胸が痛くなりました。

思い出すのも嫌な記憶を何度も呼び起こし、あきらめずに語り続けてきて下さった方々に敬意を表して語り続けていかなければならないと改めて思いました。

児玉さん:
1945年8月6日広島、当時7歳。広島の木造校舎の中で被爆。突然のもの凄い光、あっという間に木造校舎の天井が落ち、窓ガラスが鋭利に飛び散り自分にも突き刺さりました。
学校まで迎えに来てくれた父の背中におぶさり、帰宅中この世の地獄を目にしました。皮膚が焼けただれぶら下がっている人、真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱いた、ひどいやけどを負ったお母さん、眼球が飛び出している人、飛び出した内臓を抱えた人たちが、逃げまどっていました。
何年経っても原爆は容赦なく苦しめ、被爆者であると言うことだけで、差別、偏見をうけました。原爆は、人間としてあたりまえの日常を根こそぎ奪い取りました。

こどもを授かったとき、放射能の影響が出るのではないかと迷い苦しみ、夫と決断して2人の娘を産み育てましたが、9年前に次女をがんで亡くした悲しみは深く、悔しさでいっぱいです。父、母、弟二人も苦しみながら逝ってしまいました。

和田さん:
1945年8月9日、長崎で1歳10か月の時に被爆しました。自分の記憶として覚えていることはありませんが、母が繰り返し話す被爆の実相を聞きながら育ちました。
母の話によると、当時24歳だった母は、負傷者の身体にわく親指くらいの大きさのウジを箒で取っていたそうです。また、隣りの空き家には死体が毎日朝から晩まで運び込まれ、火葬されていました。人々はその状況に対して無感情になり、死体をごみのカートに投げ入れていました。人間の尊厳とは何でしょうか?ごみのように焼かれるべきものでしょうか?
生き残った被爆者の苦しみは今日まで続いています。火傷や傷、放射能障害、愛する人を失ったこと、生き残ったことの罪悪感、あの日の光景・音・におい、、、それらのことが脳裏を離れません。また、原因不明の病気や経済的困難、放射能に対する間違った情報による社会における差別や失った夢、、、。

ピースボート 渡辺里香

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