10月16日、予定にはない交流プログラムが誕生した。運航上の都合で、急遽トルコ第3の都市、イズミルに入港することになったのだが、せっかくならここで現地との交流ができないかと模索した結果、イズミルから北に60マイルほど行ったディキリ市で市長との会見が実現したのである。
エーゲ海に面したディキリは、別荘が建ち並び、お隣のギリシャなどからも多くの人が訪れるトルコ有数の避暑地で、夏場の人口は10万人にも膨らむという。また毎年9月には「国際平和の日」にちなんだピースフェスティバルが行われ、平和に対する意識が高い町としても知られている。
イズミルからバスに揺られて2時間半ほどでディキリ市庁舎前に到着。予定より30分あまり早く到着したため、時間まで市庁舎前の広場で、持参した原爆関連の写真パネルをヒバクシャひとりひとりが手に持って、道行く人々に見せていたところ、あっという間に黒山の人だかりができ、地元メディアによるカメラ撮影がはじまった。
本来なら市長室での会見のはずが、オスマン・ディキリ市長自らが広場に登場すると、そのまま青空の下での交流という流れに。まずは今回コーディネートしてくれたトルコの平和団体を束ねる全国連合組織、BAK(バク)のイチムさんが「おりづるプロジェクト」について説明。そしてヒバクシャを代表して吉岡泰志さんが原爆や反核についてのスピーチを行う。次に市長が平和に向けての挨拶をし、もうひとりのヒバクシャ代表である吉原美玲子さんの番になったところで、場所を移動することに。
実は市長の挨拶の中で、反核・平和の国際運動をリードしたオロフ・パルメ元スウェーデン首相の功績を讃えたモニュメントがすぐ近くにあると発言したことから、続きはそちらで行うことになったのである。吉原さんが自らの体験を踏まえて証言し、「平和市長会議」への参加の打診を受けたオスマン市長がその場で快諾、署名をし、最後に全員で1分間の黙祷を行い、一連のセレモニーが終了。
パルメ氏を讃えるモニュメントの前で証言する吉原美玲子さん
地元小学生に囲まれて署名するオスマン市長
その後も、海に臨んだレストランでの市長との昼食や、カルチャーセンターで市の観光プロモーションビデオ鑑賞などを行い、帰途へ着いた。
風光明媚なレストランにて昼食
当初、予定していなかったプログラムだけに、準備期間や参加人数も含め制約はあったものの、ヒバクシャ、一般参加者、スタッフ含め35人という少人数でのディキリ訪問は、終始和やかな歓待ムードに包まれた1日となった。
この記事へのコメントはありません。