2008年_第1回ヒバクシャ地球一周(第63回ピースボート)

若きヒバクシャが語るそれぞれの胸の内

おりづるプロジェクトに参加しているヒバクシャ102人の中に、60代の人たちが約4割いる。しかし当時、母親の胎内での被爆だったり、まだ物心がつく前の幼なかった時期だったりと、自らの被爆体験の記憶がないため自分には語るものがない、今後ヒバクシャとしてどのようなことをすればいいのか、など人知れず悩んでいる人は多い。

そこで11月20日、同じ悩みを抱える人たちに集まってもらい、どう過去の経験をシェアできるかをテーマに「若いヒバクシャの想い」と題する船内企画を行った。参加者は、当時、4歳から、生後8ヶ月だったという5名。恋愛、結婚、就職、健康などについて、それぞれの想いを率直に語ってもらった。

ヒバクシャ地球一周 証言の航海-1120_01

司会進行を務めるピースボート平瀬(左)と福田晴之さん

まずヒバクシャとして自覚したのはいつ頃からという問いからはじまった。両親が被爆で亡くなり祖母の田舎で暮らしていた6歳頃、近所の子どもに「ピカドンの子ども」と言われたり、中学生の時、アメリカがヒバクシャを対象にしたABCCという調査に授業中に呼び出されたり、結婚してから母親に実は入市被爆だったと告げられたり、と時期はさまざま。

恋愛・結婚に対しては、交際するたびに相手の親から反対されたり、2世への影響があるということから、子どもを作らないという条件で結婚したり、結婚自体を諦めたり、とそれぞれの人生に大きな影響を及ぼしたことがわかった。結婚後に自らヒバクシャだったことを知った人は、相手に申し訳ないと離婚を切り出したが、黙っていればわからないことだし構わないと言われたという。その後、子どもが2人できたが、子孫への影響を考えると複雑だと語った。

ヒバクシャ地球一周 証言の航海-1120_02

毎年の墓参りの際、孫に平和の尊さを伝えていると小椋博さん

就職・仕事について、あからさまな差別を受けたことはなかったようだが、両親がいないため中学卒業後、働かざるを得なくなり、就職先を探したが、大手企業に入ろうと思っても学歴による壁を感じたと発言する人や、営業で得意先を回っていた際、夏場は半袖のため腕の火傷の跡について質問されることがあったという経験を話す人もいた。特に健康に関しては、参加者全員が不安を抱えているという点で一致しており、ヒバクした両親がガンで亡くなり、現在も弟が闘病中というエピソードもあった。

最後に、今回おりづるプロジェクトに参加して、感じたことはという質問が出た。船内で若い人たちに接する機会があるが、自身の被爆体験は語れないものの、これまでの健康被害についてやチェルノブイリなどといった原発事故による放射能被害についてなど、いくらでも話すことはできるという意見が出た。さらに今はまだ自らの被爆体験を語ることができる先輩方が大勢いるが、被爆という事実が風化しないためにもできることをしていきたいという発言も飛び出した。なかには、これまでまったく原爆に関する活動について関わっておらず、乗船した当初は被爆証言なんて自分には荷が重すぎてできないと思っていた。ただ周りに同じように思っているたくさんの仲間がいることがわかり、今日こうして参加しているという人もいた。

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企画者の永野和代さん(左)と林田清さん

この座談会を企画し、自らも参加者として出席した永野和代さんは「被爆体験の記憶がないから、証言ができないというのは思い込みだったのかもしれない。みなさんの意見を聞いて、自分なりの被爆証言ができるとあらためて考え直した。日本に戻ってから自分に何ができるのかをじっくりと考えていきたい」と締めくくった。

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最後にその場にいる全員で『海』を合唱してお開きとなった

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