8月9日
平和公園へ向かいました。
タクシーのドライバーさんによると、だいたい8月9日は晴れるようですが、今日は少し雨が降っていました。
丁寧に折ってあり、きれいに並べられた折り鶴を手に、平和公園に向かう人たちが目立ちました。
被爆66周年 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 が行われました。
平和祈念像の近くは満席で、日本人のほかに他の国からもたくさんの方々が集まっていました。
11:02分に黙とうをして平和公園内は静まりかえりました。
平和宣言、合唱、首相からの挨拶、そして平和を象徴するハトが空に放たれました。
原爆落下中心地の原爆公園には、昨日とは違い、たくさんのお花や折り鶴が飾ってありました。
長崎原爆資料館は、長崎のヒバクシャで、第2回おりづるプロジェクトに参加された 小西伸一(コニシ・シンイチ)さんに案内していただきました。先日交流会でお会いした、陽気で笑顔の似合う方です。
資料館は、毎年8月9日に無料開放しており、家族連れでとてもにぎわっていました。
真っ黒焦げになった人の写真や、実際に使われていたお弁当箱などを見ていると
悲しみがこみ上げてきました。
日本の技術が原爆のアンテナの部分で使われていたと知ったとき、複雑な気持ちになりました。
短い映画(ショート・フィルム)を2本見れる小さな会場に立ち寄りました。
最後に出てくる子どもたちのうちの一人が小西さん ご本人だそうです。
忙しいにもかかわらず、丁寧に解説していただけてうれしかったです。
ヒバクシャとして大変な経験をされたのに、それを生かして資料館の案内人をされていることは素晴らしいとおもいます。小西さん、これからも元気でがんばってください!
長崎原爆死没者追悼平和祈念館はとても美しく、訪れる人々の心の癒してくれる空間だと思いました。
この日、折り鶴がいかにも日本人にとって
平和を象徴する、大切なものかと目にした気がしました。
みなさんはこの折り鶴を折りながら、どんな思いを寄せていたのでしょうか。。。
最後、長崎を発つ前に川崎哲と上泰歩とお茶をしました。
宇治金時のかき氷と、長崎名物であるらしいミルクセーキが出てきて、川崎は微笑んでいました。
いままでヒバクシャなどやいろいろな方との交流を通して、おりづるプロジェクトがたくさんの人を繋げ、考え行動するきっかけをつくってきたのか、そしてどれだけ感謝されているのか目にしました。
おりづるプロジェクトのスタッフみなさま、「お疲れ様です!!」
私にとって初めての長崎は、
たくさん重い内容もありましたが、
とても暖かく、充実し、勉強になりました。
資料館から見渡した景色が印象的でした。
濃い緑が茂った山々に囲まれて、尚かつ海にも近く、すてきな所でした。
この山のおかげで原爆の影響は削減され、助かった命もたくさんあったと聞きます。
この長崎には
深い歴史や、暗い歴史もあったけど、
それを強みに変えて、
それから目をそらさず、受け止めて、
特別な視点を平和を保っていけるように
世界に伝えていってほしいです。
私も精一杯のことはしますので、一緒にがんばりましょうね。
最後に、
結局、相手を「他」(敵、人間以下、自分より下)と思えるから、
一度でも落としてはいけない原子爆弾を2回も落とせたのではないでしょうか。
大学院で教授に言われて、なるほど、と思ったのが、
「ほとんどの人は朝起きたときに『私は悪人だ』と思ってはいない」
ディズニー映画にでてくる「悪人」や、「善人」みたいに、
私たちの住む世界は「白・黒」と区別できることではありません。
誰かが「悪人」と示した本人でも、自分自身では自分が「フリードム・ファイター」(自由のために戦っている者)と信じているかもしれない、ということではないでしょうか。
つまり、
国際問題とか、グローバルというのは、
少し手につけにくい領域かもしれませんが、
もっと身近な
日常で、
一人ひとりができる平和構築があると想います。
例えば、
日本にいる他の人種、文化、宗教の人々であったり、
体が不自由な方たちに対して、
「他」と思うことが、平和から遠さがってしまうのかもしれませんね。
実際に「他」の人、と思う人をなくす努力や、
「他」と思う人と交流をしたり、可能なかぎり近づいたり、時には許したりしていく心と行動を、
一人ひとりがもてば、
それが少しずつ
積み重なって、
本当の平和に繋がるのではないでしょうか。
(インターン ハル)
(写真提供:ハル)