12月3日からアメリカのニューヨークで始まっている『ヒバクシャ・ストーリーズ(http://www.hibakushastories.org)』。現地からのレポートと写真、第二弾です。
アメリカ・ニューヨークで、広島・長崎の被爆者が市民、国連関係者、高校生などに証言をし、そこから「二度と原爆が使用されない、核のない世界を築くアクションにつながるように」との願いで行われているこのプロジェクトですが、早速いくつかのメディアに取り上げられていますので、ご紹介します。
■ニューヨーク・デイリーニュース
http://www.nydailynews.com/new-york/hiroshima-survivor-talks-brooklyn-students-article-1.989444
日本軍のハワイ・パールハーバー襲撃から70年を迎える今年、広島原爆の被爆者と長崎被爆者の娘で被爆二世が、高校生に自分の被爆の経験と現在の日本の福島第一原発の事件について証言を行った。
カナダ在住の広島被爆者、サーロー節子さんは原爆が落ちたその時の強烈な光と爆風で吹き飛ばされた感覚。また、その後のこの世とは思えない荒廃した広島の街と幽霊のようになってしまった人々のことを話した。また、原爆が投下されて意識が戻り、壊れかけた建物の下敷きになっていた自分の体をなんとか引きずり出してもらい、まだ熱をおびた実家の瓦礫から掘り出した品々を、現在住んでいるカナダの博物館に原爆の記念品として寄贈したことにも触れた。
長崎の被爆二世の阪口博子さんは、被爆した母親が直腸や肺のガンで長く患い亡くなっていったのをまじかでみており、いとこや親戚が白血病などで亡くなっていることを考えると、いつ自分の身にも放射能の影響によるガンが発症するか、いつも恐怖とともにある。
集まった学生に、「原子力発電は原爆と同じ危険をはらんでいる。核のない世界を創造しなくては」と語った。
学生たちは、直接このような証言を聞き、質問をする機会を得て、衝撃と感動が大きかったようだ。「一人では核のない世界に向けて行動できなくても、協力して手に手をとって行けば出来ると思う」と学生の一人は語った。(日本語略訳:ピースボート)
■siliv.com
http://www.silive.com/news/index.ssf/2011/12/when_the_sky_rained_fire_and_d.html
スタテン島高校で日本語を学ぶ75人の学生に向けて、被爆者の証言会が開かれた。
サーロー・節子さんは、被爆当日の経験、人間とは思えないような姿になってしまった人々の様子、あまりの高熱に「水をください」と懇願されて水を運んだが少しの人にしか行き渡らなかったこと、自分の学校だけでもその日300名以上の学生が亡くなったことを語った。「亡くなった学生一人一人には名前がありました。そしてその一人一人がそれぞれに愛されていた人間なのです。みんなの声がまだ私には聞こえます」と涙ながらに話した。
被爆をした母親から生まれた阪口博子さんは、放射能の影響で髪が抜け落ち、歯茎から血を出し、ガンを発症してから数年で亡くなった母親のことを話した。そして、被爆二世として「もうこれ以上ヒバクシャを生まないようにすること、これが使命であり希望です」と静かに学生に語りかけた。
(日本語略訳:ピースボート)
「ヒロシマからフクシマへ:核のない世界をつくる」との証言会の案内文
今回の「ヒバクシャ・ストーリーズ」の第一回レポートはこちら:
(渡辺里香)
この記事へのコメントはありません。