前回に引き続きヒロシマ・ナガサキスタディーツアーの様子を報告します。今回は長崎編!
長崎駅のバスターミナルに到着しすぐに向かったのはおりづる被爆者の増川雅一さんが専務理事を務めていらっしゃるナガサキピースミュージアムです。今回のスタディツアーで長崎での行程を一緒に考えてくださった小川忠義さんもここから合流してくれました。
ピースミュージアムの詳細はこちら
(~6月10日(土)まで企画展「PEACE BAOTおりづるプロジェクト・レポート チェルノブイリ26年目の衝撃!~ヒバクシャ地球一周 証言の航海~」開催中)
増川さんは西欧や中国などの影響をうけた長崎の歴史や文化について説明をしてくださいました。カナダ出身のカイル先生は興味深く耳を傾けていました。
増川さん、小川さんと長崎ちゃんぽん!
増川さんとは昼食で一度別れ、長崎出身のおりづる被爆者喜多村隆昭さん、原口貞夫さん、山田一美さんと合流しボランティアガイドを務めている山田さんの案内で長崎原爆資料館を見学しました。
その後も引き続き山田さんの案内で平和公園、如己堂、浦上天主堂をめぐりました。
増川さんも再合流し長崎出身のおりづる被爆者が勢ぞろい!みんなで夕飯を食べました。それぞれの人生のこと、船の思い出話などで盛り上がり楽しいひと時を過ごしました。
夕食後は車で日本3大夜景の一つである稲佐山展望台から長崎の夜景を楽しみました。
美しい夜景を眺めながらも、午後に訪れた爆心地のあたりを確認する参加者の姿がありました。
そしてこの日は一番若手の小川さんのお宅にホームステイさせていただきました。
長崎2日目。早くもスタディーツアー最終日です。
午前中は昨日行くことのできなかった国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に向かいました。
おりづる被爆者の小川忠義さんと喜多村隆昭さんも一緒です。
記念館の中には充実したメディアコーナーがあり、様々な人の証言ビデオを英語でも視聴することができます。また原爆や核兵器関連の書籍も閲覧することができます。
平和情報コーナーでは文字や絵による平和へのメッセージをパソコン上に書き登録することができます。このメッセージは10年間保存されるらしく、私たちもみんなで「核のない世界」というメッセージを描き写真を撮りました!
メッセージを描いて
写真を撮ると、
こんな感じで保存されます。
昼食は美味しい海鮮を堪能し、喜多村隆昭さんと共に長崎大学へと向かいました。
この敷地は戦時中は三菱長崎兵器製作所大橋工場であった場所です。爆心地から1.3kmの距離にあったこの場所では当時働いていた従業員、女子挺身隊、学徒報国隊のうち約2300人が死亡、5600人以上が負傷しています。
喜多村さんは今回のプロジェクト最年長で、16歳の時にこの場所で原爆投下後の救護活動に従事しました。喜多村さんは原爆が投下された時は隣の市にいました。そして原爆が投下されてから2日後の8月11日に長崎市に入り、13日までの3日間死体の片づけや救護活動に携わったことで「入市被爆者」となりました。救護活動中の残留放射能の影響で8月13日に帰省してから下痢や疲れなどの症状が出て、その後これまでに舌、上あごなどに数回癌を患っています。
長崎大学構内にて喜多村さんが当時救護していた現場の説明を受けるツアー参加者たち。
お世話になった喜多村さんとはここでお別れです。
カイル先生は原爆投下について研究している前回のおりづるプロジェクト参加被爆者と交流するため別行動となったので、その他の参加者は再び資料館へ戻り今回ツアーの中で学んだ原爆のことについて振り返りながら、現在の世界の核問題を学びました。
そしてカイル先生や小川さんも合流して今回のツアーの振り返りをみんなで行いました。
振り返りの中ではそれぞれが今回のツアーを通して感じたことなどを共有しました。
東京から参加した二宮由佳さんは「広島も長崎も今はすごくきれいになっているからたった70年前にそんな恐ろしいことがあったとは想像しにくい。だけど、街のいたるところで傷跡を見て、本当にここで起こったんだと実感した」と言います。
今回初めて広島と長崎を訪れた新潟出身の笹川琴絵さんは船の中でも福島や原発の問題などについて熱心に学んでいた一人です。「資料館で写真を見ても、被爆者の方から証言を聞いても、ものすごいことすぎてマンガとかゲームの世界のような感じで実感が持てない自分がいた。だけど、現状として原発のこととか福島のこととか、私の生まれた年に23回も核実験が行われているっていうのも知って、核って今もまだまだ抱えている問題だし、まだまだ続いていく問題だなって改めて実感した。これをちゃんとみんなに伝えたい。」
一方広島出身の木戸あゆみさんはこのように振り返っています。
「街のいろんなところにまだ原爆の跡があるけどそこで暮らしていると普段の生活の中では忘れてしまっていた。でも今回のツアーを通してここで起こったことを改めて実感したというか、心に響いたというか…もっとちゃんと考えなきゃなと感じた。今までどこか他人事だったし、知ってるけどどうにもなんないって諦めてる自分がいたけど、ほんとにそれが良くなかった。今からでも何か自分に出来ることがあるんじゃないかと思えた。」
大学で原爆投下について研究してきたカイル・ハリス先生は、
「ここに来る前にたくさん文献を読んだり勉強をしてきたけれど、本当に物事を「感じる」ということとは違う。私たちは今、被爆者と話しながら様々な碑や土地をまわるというとても貴重な体験をしている。でも今から20年も経てばもうこれらの碑や土地に声はない。今回ここに来て個人的に様々な話を聞いた私たちには責任があると思う。私たちが様々な形で被爆者からのメッセージをつないでいくのだ。」と語りました。
カイル先生(写真)は既にカナダの大学とスタディーツアーが出来ないかを模索中です。
本当はツアーに組み込みたかったのですが、月曜日は休館日だったので次の日に希望者だけで岡まさはる記念長崎平和資料館に行きました。長崎は炭鉱があったことなどから多くの朝鮮人が労働していました。長崎の被爆者のうち約10%は朝鮮人であったと言われています。この資料館では1910年の日韓併合から日本の「加害」という視点に焦点をあてており、この視点は世界に向けて現在の平和問題として核廃絶を訴えていくためにはとても重要な視点となります。見るのがつらい資料館の一つですが、それぞれ真剣に学んでいました。
なんと!ここで75回クルーズでタヒチまで乗船されていた水先案内人の郭貴勲さんに偶然再会しました!!郭さんは在外被爆者のための訴訟で補償を勝ち取った在韓被爆者で、韓国から裁判のために来日されていたそうです。
102日間をかけて世界をまわってきた参加者たち。
被爆者たちとの関わりの中で日本の近代史を学び、現在の問題に向き合ったスタディーツアーとなりました。
(サポートスタッフ 坂口理香)