1.ヒバクシャ証言の航海

第5回おりづる参加被爆者紹介(長崎編)

前回の広島編に続き、長崎のオリエンテーションで証言をされた5名の被爆者の方々を紹介します。

喜多村 隆昭(きたむら たかあき)さん

    ピースボートのおりづるプロジェクト<略歴>
長崎被爆 被爆当時16歳
原爆投下翌日、救護隊として長崎市に入市し被爆。救護活動中、原爆被害の悲劇を目の当たりにする。救護活動が終了し数年後、歯茎からの出血など原爆の影響と思われる症状が半年ほど続いた。戦後は長崎大学及び大学付属病院に文部事務官として勤務。これまで舌癌や上顎癌などを患い、手術を受けた。

<被爆証言要約>
諫早の海軍航空廠で学徒動員として働き、石炭を運ぶ作業中被爆。はじめは変電所のショートかと思ったが、上空の飛行機の音を聞いて違うとわかった。諫早に運ばれてくる死傷者を見て市内の惨状を知った。約100名の救護隊として汽車で市内に入り負傷者や街の惨状を目撃した。二度と戦争はしたくないと感じている。

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原口 貞夫(はらぐち さだお)さん

    ピースボートのおりづるプロジェクト<略歴>
長崎被爆 被爆当時14歳
爆心地から約3km離れた自宅付近で被爆。戦前から軍国教育を受けてきたが、終戦後、その教育が誤ったものであったと気づき、教育の大切さと恐ろしさを学んだ。その後英語教師として38年間私立高校に勤務。生徒達には自己紹介と共に必ず被爆体験を語り続けてきた。その生徒数は実に5000名以上に及ぶ。

<被爆証言要約>
一機の飛行機から落とされた落下傘を、家の外で弟たちと珍しがって見ていた。数十秒後ピカッと強烈な光が目に突き刺さり、気がつくと体は家の中に吹き飛んでいた。家から2~30m離れた横穴式防空壕で一晩を過ごし、翌日壊滅した町の様子を目の当たりにし愕然とした。
毎日数え切れないほどの人が死んでいった。街には空き地でその死体を焼くにひどいにおいが立ちこめ、それが1月くらい続いた。本当の恐怖は爆発の瞬間から始まった、66年たった今も苦しんでいる人がいる。

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山田 一美(やまだ かずみ)さん

    ピースボートのおりづるプロジェクト<略歴>
長崎被爆 被爆当時12歳
父親の仕事のため中国東北部で生まれるが、小学生のころ長崎にある祖母方に住むため帰国。爆心地から2.3km地点にて被爆。退職を機に証言活動を開始。被害者意識の強調だけでなく、日本が行った加害の歴史もふまえ対話の重要性、戦争のない社会の構築を訴える。長崎平和推進協会平和案内人及び継承部に所属。

<被爆証言要約>
家の手伝いをして帰ってくる途中、落下傘が降りてくるのが見えた。岩陰に入ったところで光ったので目をふさいで伏せた。あまりの熱さに死を覚悟し、実際には3秒間の熱が1分も3分も続いたように思えた。家は倒壊し瓦礫とかした街や大勢の被爆した人たちを目撃した。
一人一人が声を上げることが大事だ。微力だが若い人たちに伝えていきたい。

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増川 雅一(ますかわ まさかず)さん

    ピースボートのおりづるプロジェクト<略歴>
長崎被爆 被爆当時4歳
爆心地から3.5km地点で被爆。祖父と父親は爆心地付近で被爆、遺体は見つかっていない。原爆との因果関係は不明だが、37歳のとき硬膜内随外腫瘍を患う。長崎放送(株)に勤務し、被爆証言の番組作成などに尽力。現在は、人間や自然の素晴らしさを切り口に平和を語り継ぐことをテーマにした「ナガサキピースミュージアム」専務理事に就任、活動を続けている。

<被爆証言要約>
ピカッと光ったのをわずかだが覚えている。家中のガラスが割れ、頭から布団をかぶせられ納戸に投げ込まれた。額を怪我し痛さで泣いた。その夜、防空壕の中でゆらゆらと揺れるろうそくの光を覚えている。爆心地付近で被爆したと思われる祖父と父は、原爆によって蒸発したのではと思っている。
記憶はほとんどなく生の証言をすることはできないが、被爆は過去の出来事ではなくいつも昨日の出来事のように感じている。原爆の残酷さを強く感じ、二度と使われることがないように平和な世界を作っていきたい。

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小川 忠義(おがわ ただよし)さん

    ピースボートのおりづるプロジェクト<略歴>
長崎被爆 被爆当時1歳
原爆投下当日は疎開していたが、1週間後自宅の状況確認のため入市し、被爆。自信の被爆当時の記憶はないが、被爆者の最後世代として証言を継承していけるようにと今回の航海に参加。また、現在は自信の趣味である写真を生かし、毎年8月9日11時2分の長崎市内の様子を写真に納める活動を行っている。

<被爆証言要約>
8月9日は疎開先におり、1週間ほど後になって市内に入った。自宅近くの柱鳥居を見に歩いた。母が後生大事に持っていた家族全員の入市証明書のおかげで成人後になって被爆者健康手帳を取得するときに簡単にとることができた。証言の航海の記事を新聞で見て、体験を語れる人が高齢化していることなどから自分も一緒に3ヶ月船で勉強して体験を語り継いでいきたい。また、船を下りた後も活動を続け、何年たっても船に乗り証言をしたい。孫にも被爆体験を受け継いでいってほしい。

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▼第5回おりづる参加被爆者紹介(広島編)

(インターン 蓮沼佑助)

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