3.核廃絶へのいろいろな動き

メキシコ在住被爆者山下泰昭さん 出身地長崎で初めて半生を語る

つづきましてはメキシコから来日された山下泰昭さんの来崎報告です。

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メキシコ在住被爆者山下泰昭さん
出身地長崎で初めて半生を語る

$    ピースボートのおりづるプロジェクト
半生を語る山下泰昭さん

山下さんは11月3日から11日まで長崎に滞在。健康診断を受け、市役所で「健康管理手当」を申請しました。また勤務先であった長崎原爆病院の訪問、44年ぶりとなる自宅の跡も訪れ、メキシコに渡ってからの空白を埋めるかのような滞在となりました。

山下さんと私は、昨年の12月NYで行なわれた「ヒバクシャ・ストーリーズ」に共に参加したことで知り合いました。その山下さんがNYの高校生に語りかける話に感動に、今年6月メキシコを訪問、そのなかで、山下さんが被爆者手帳は取得しているが、被爆者に支給される健康管理手当を未取得だということが判明しました。メキシコで申請することも可能ですが、メキシコの医者や申請窓口となる在外公館で、「被爆者援護法」を理解してもらえるか不安があり、来崎して申請することとなりました。その際、長崎の高校生に山下さんの体験を話してもらえないかと御願いしたら、快く承諾していただき、一般の方と高校生、2回証言会をおこないました。
山下さんは、自身の被爆体験とともに、勤務した原爆病院での体験、そのことによる死への恐怖に向き合った時、誰も原爆を知らない場所に行きたいと、1968年前から興味のあったメキシコに移住したことを話されました。また、長い間被爆の記憶を封印していましたが、メキシコ人の友人の子供さんにどうしてもと頼まれ、1995年メキシコの大学で初めて被爆証言を行ない、これをきっかけにメキシコやアメリカなどで証言を行なっています。「話すことで苦しみが和らいだ。若い人が原爆の恐ろしさを考え、家族や次世代に伝えていけば必ず平和になる」「少しずつではあるが、核兵器は生きていくために必要ないという理解が若者に少しずつ深まっている」と証言していくことの大切さを訴えました。また、今年10月、国連で核兵器非合法化の努力を呼びかけた声明問題の議論に同席した際、日本政府高官が、米国の軍縮教育家の日本政府を非難する演説を最後まで聴かずに退席したのを見て、「なぜ原爆を落とされて署名しなかったのか怒りを覚える」と話されました。
会場には、ピースボート「おりづるプロジェクト」の1~4回のメンバーも参加、旧交を温めました。
また、長崎で毎月行なわれている平和公園での「9の日座り込み」にも参加、メキシコでの原発の状況や、最初に建設されようとした時、新聞に「原発反対」の投書を行なって反響が大きかったが、やはり建設されてしまったこと等も話されました。
山下さんのように海外に居住する被爆者を「在外被爆者」とよんで、日本政府は長い間、差別的な対応をしてきました。しかし、40件にも及ぶ裁判をとおして、大筋差別はなくなりました。しかし、在外被爆者には、情報がなかなか伝わりにくく、制度上の援護は整っても、運用上ではまだまだ課題も残されています。(阪口博子)

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