おりづるユース特使、浜田あゆみです!
浜田あゆみさん。証言会場にて、子ども達と
ついに!船は南米、ベネズエラに到着しました。南米は、世界で一番最初に核兵器が反対された条約「トラテロルコ条約」が1967年に出来たところでもあります。1945年の広島・長崎以降、核戦争が起こるのではないか、といった不安に対して、南米は、平和的に対話で解決しなければならない、という意志を持ち、非核地帯を作ったのです。
私達は5月7日にベネズエラに到着しました。皆さんはもうすでにご存じだと思いますが、ベネズエラでは沢山の出来事がありました!ちょっと長くなりそうですが、私なりにこの時のことを振り返って書きたいと思います!
一日目は船内で記者会見、そして昼食会、中学校での証言、ピースイベント。盛り沢山な内容で、被爆者の方も一生懸命、一つ一つ言葉を大事にしながら発言していた姿がとても印象的でした。記者会見と昼食会に来て下さった副外務大臣はなんと28歳。私と同い年!パワーあふれる輝く瞳と、平和への祈り、そして日本食をチャーミングに召し上がっている姿が目に焼き付いています。
28歳の副外務大臣
中学校は100人と最初の話では聞いていたのですが、運動場の隣の少し開けた場所で椅子を並べての証言会となりました。中学校の先生も、「お話を真剣に聞くという文化がないから、もしかしたら生徒たちが話を聞いてくれないかも」という不安もあったようですが、途中退席する生
徒やおしゃべりに忙しい生徒はいたものの、熱心な生徒さんは本当に熱心に聞いてくださり、大きく頷いたり目に涙をためたりする姿もありました。
300人以上の子ども達が集まってくれました!
今回証言したのは、広島で15歳の時に被爆した坂田尚也さんと、同じく広島で2歳の時に被爆した坂下紀子さん。当時学生だった坂田さんは学徒動員として、人間魚雷「回天」をつくる工場で働いていた軍国少年が見た広島の惨状を淡々とお話しされました。また、坂下さんは、近所の人たちを見殺しにして子ども達を抱えて逃げた母が、生涯その罪悪感に苦しんだこと、坂下さん自身も結婚するときに差別を受けるのではないかと心配だったことなどを話しました。
2人の被爆証言を聞く準備として、被爆証言を聞くと言うことがどういうことか
原子爆弾の説明や世界の核の状況などおはなししました
坂田尚也さん。会場の皆さんに伝わるように丁寧に話しました
坂下紀子さん。寄港地で初めての証言会です
質疑応答では「核兵器が今後落とされないよう、準備はしているのか。」又、「アメリカに対してどう思っているのか」など中学生や教師の皆さんから質問があり、一時間程度ほどみっちりと意見が交換出来ました。
「なぜ核兵器は落とされたのですか?」
原爆ポスターを食い入るように見つめる女の子とお母さん
証言会の後も、おりづるメンバーは大人気!
みんなで写真をとったりお話したり。大交流です
そしてピースイベントでは青少年の音楽家たちが演奏してくれたり、合唱団や子供たちの踊るアクロバティックなダンスを見せて頂いたり、又私達プロジェクトからは三瀬さんが平和へのメッセージのスピーチがありました。3000人以上集まったピースボートの乗客の皆さんとベネズエラの市民の皆さんは楽しい交流時間を送る事ができました。このイベントはベネズエラの方々が開いてくださったもので、誰でも無料で参加できるものでした。本当に、感謝の念に堪えません。
フェスティバルでスピーチする三瀬清一朗さん
歌と手話の素敵なハーモニーを届けてくれた
エルシステマ合唱団の皆さん
そして次の日は朝から故チャベス大統領の博物館や、南米を解放させたシモン・ボリバルさんの祀られている場所に訪れ、私達は霊廟におりづるのレイを捧げてきました。そして夕方はエル・システマという音楽団体のコンサート会場を訪れ、素晴らしい音楽に酔いしれました。どこに行っても、被爆者の方とご一緒なら、という事で大変歓迎をして下さり、こちらも本当に頭が下がる思いでした。
そして!ついに。
コンサート会場を後にした私達はチャベス大統領を引き継いでベネズエラの改革を進めるマデゥーロ大統領との面会が出来ることになったのです!
ピースボートスタッフは大慌て。無線で連絡を取り合って、近くのアパートへ向かいました。水先案内人の伊高さんも同行し、日本からこの日の為に飛んできたピースボートの共同代表である吉岡さんも合流しました。そして、被爆者と吉岡さん、そして数名のスタッフのみ、ということで厳重注意の中、アパートの中へ皆さん進んでいきました。被爆者のみんなは、「ユースも一緒でしょう!」と言ってくれたのですが、気持ちだけで十分。しっかり声を届けてきてください、と送り出しました。(大統領との面会の様子はブログ記事「ベネズエラのマドゥーロ大統領に、核廃絶を直接申し入れました」をご覧ください)
念願のマドウーロ大統領との面会が実現しました!
この面会は南米全域に生中継されたそうです。みんなを見送った私達はアパートの下でみんなの後ろ姿を見守りました。ベネズエラでは、チャベス政権時代から貧しい人々に住居を、というキャンペーンがあるらしく、次々とアパートを建設しているようです。面会が行われたアパートもこの度建設されたもので、国営放送の番組内で、大統領が市民へのメッセージを伝えながら、アパートを提供する、というものだったようです。アパートの下では大統領を一目見ようと来ている近所の方なのか、またこのアパートに今後住む予定の市民の方たのか、沢山の方々が集まっていました。
被爆者の皆さんはその番組が終わるまで大統領と共に時間を過ごし、二時間ほどに渡ってテレビに参加していました。面会が終わって、かなりお疲れのようでしたが、笑顔で、「大統領はとても優しくて温かい人だった」と口ぐちに楽しそうにお話していました。
大統領面会後、船内に来てくださった外務大臣へ
おりづるパートナーと皆さんと作った千羽鶴を渡しました
そして翌日は、船内でベネズエラの若手外交官の方たちとセッションを行いました。四人の美しい外交官の前でヒバクシャの皆さんはドキドキされていたようでした。ヒバクシャを代表して、李さんが16歳の時の体験をお話して下さいました。
未来を担うベネズエラの若手外交官の皆さんとクローズドセッション。
初めて被爆証言を聞く機会ということでとても熱心に聞き入ってました
クローズドセッション後、ユースのみでさらにセッション!
今している活動のこと、これからのことを互いに話しました
本当に、ベネズエラの方々から歓迎され、一生思い出に残るような出来事でした。次の寄港地はペルー!これからも頑張っていきたいと思います。
証言会の後、みんなで集合写真!
(おりづるユース特使 浜田あゆみ)