1.ヒバクシャ証言の航海

被爆70周年の航海へ!第8回メンバーを紹介します

みなさんこんにちは!
今回は、今年4月12日に出航する、第8回「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加される被爆者のみなさん(広島6名、長崎2名)、そして共に核と平和の問題への関心を高める企画を行なっていく、選ばれしおりづるユース3名をご紹介させていただきます!

【参加被爆者】(計8名)

三宅 信雄(ミヤケ・ノブオ)

広島被爆 1929年2月16日生まれ 被爆当時16歳
埼玉県志木市在住 
爆心地より1.8km地点、爆心地へ向かう路面電車の中で被爆。電車内で多くの死傷者が出たが、自身は咄嗟の判断で電車を飛び降りたことにより被害を免れた。1980年代後半から証言活動を開始。活動は日本国内にとどまらず、アメリカやオランダ、カナダ、イスラエル、サウジアラビアなどでも証言し、在韓被爆者との交流なども積極的に参加。2007年から2009年には東京都原爆被害者団体協議会の事務局長を務める。

森田 博滿 (モリタ・ヒロミツ)

長崎被爆 1934年9月24日生まれ 被爆当時10歳
長崎県長崎市在住
爆心地より1.8km地点にある自宅の玄関先で被爆。外から家の中へ入った瞬間、青白い光を感じ、爆風で5~6m吹き飛ばされた。自身は軽傷で難を逃れたが、5歳上の兄は大やけどを負い数年後に死亡。戦後、差別を恐れ被爆体験を長く語らなかったが、周囲から頼まれ次第に語るようになった。山王神社にある樹齢600年の被爆クスノキの保護に携わりながら、「100分の1秒の奇跡」で助かった命の尊さを訴えている。

小谷 孝子(コタニ・タカコ)

広島被爆 1939年1月4日生まれ 被爆当6歳
千葉県八千代市在住
爆心地より2.5km地点にある自宅にて被爆。家の下敷きになるも軽傷で助けられた。4人兄弟のうち弟は全身火傷で死亡。姉、兄も大けがを負うが生き永らえる。自身が小学生の時に母を白血病で亡くして以来、被爆者であることを公にしてこなかったが、知人に背中を押され2005年より語り始める。現在は八千代市原爆被爆者の会に所属し、幼稚園教諭時代から特技とする腹話術を用いながら若者に命の尊さを語り継いでいる。

廣中 正樹(ヒロナカ・マサキ)

広島被爆 1939年10月16日生まれ 被爆当時5歳
広島県福山市在住
爆心地より3.5km地点にある小川で水遊びをしているときに被爆。逃げ込んだ防空壕で黒い雨を見る。原爆で亡くなった父の焼けた背中が忘れられず、定年後、父が亡くなるまでの出来事を書き出した小冊子を作成。2006年に絵を見せながら初めて自身の体験を語る。2010年、NPT再検討会議に日本被団協の代表団の一員としてニューヨークを訪れ、国連や現地の小中学校で被爆証言を通して核廃絶を訴えた。

堀江 壯(ホリエ・ソウ)

広島被爆 1940年10月17日生まれ 被爆当時4歳
広島県広島市在住
爆心地から3km地点の路上で被爆。強烈な閃光のあと襲って来た爆風により吹き飛ばされたが一緒にいた姉が咄嗟に自身に覆い被さり事なきを得た。自宅に避難して来た子どもたちが大火傷に苦しむ姿が脳裏に焼き付いている。2004年より世界へ被爆体験を発信し国際交流を行う団体「ワールドフレンドシップセンター」に所属。語り部の減少に危機感を覚え、2012年より海外からのゲストに英語で被爆体験を語る。

伊藤 正雄(イトウ・マサオ)

広島被爆 1941年1月31日生まれ 被爆当時4歳
広島県広島市在住
爆心地から3.5km地点の自宅前の道路で三輪車に乗って遊んでいるときに被爆。爆風により吹き飛ばされるも軽傷ですみ、逃げ込んだ防空壕で黒い雨に遭う。被爆後数日間、家の近くの公園で数え切れないほどの遺体を荼毘に付す様子が脳裏に焼き付き、未だに忘れられない。2010年、ヒロシマピースボランティアとして活動を開始。2012年から広島市の伝承者養成事業に参加し継承活動に尽力。

三田村 シズ子(ミタムラ・シズコ)

長崎被爆 1941年12月20日生まれ 被爆当時3歳
長崎県長崎市在住
爆心地から4km地点の自宅にて食事中に被爆。鋭い光を浴びた直後、防空壕に避難し家族は無事。戦後は看護師として勤め、原爆に深い関心はなかったが、一緒に被爆した姉二人、被爆二世となる自身の娘・姪を含む4名ががんを発症し他界。自身も大腸癌、子宮体癌を患い、徐々に放射能の恐ろしさを感じ反核平和活動に関心を持ち始めた。現在は「平和案内人」や、紙芝居を通して被爆体験を伝える活動に従事。

鎌田 弘恵(カマダ・ヒロエ)

広島被爆 1942年2月9日生まれ 被爆当時3歳
広島県広島市在住
爆心地から2.3km地点の自宅にて被爆。幸いにも家族は無事。被爆の鮮明な記憶はないが、その後長年にわたって死の恐怖が拭えなかった。幼少時から疲れやすく、40代の頃に甲状腺機能低下症と診断される。これまで証言活動の経験は少ないが、子や孫、海外からの 留学生などに、親族や自身の体験を語ってきた。原爆の放射線による被害、国内外の戦争、難民問題などにも関係づけながら核廃絶を訴えたい。

【おりづるユース】(計3名)

橋本 昭博 (ハシモト・アキヒロ)

茨城県水戸市出身 東京都在住 1985年8月19日生まれ 現在29歳
演劇プロデュースユニットMoratorium Pantsを主宰。全作品のプロデュース、演出、出演を手掛けている。12歳の頃、戦災孤児と被爆者を描いた「わかくさのうた」に出演をきっかけに、戦争経験者の手記や資料などを読み込み当時の状況を疑似体験。その後も、戦災孤児や沖縄戦、原爆問題をテーマにした舞台に数多く出演している。2013年夏、第二次世界大戦中の日本とアジアをテーマにシンガポールの劇団と共同創作した作品「mobile2」が、シンガポールでその年の舞台ベスト10の中に選ばれる。学校などで演劇的手法を使ったワークショップを行うなど表現教育の現場でも活動を展開。今回の航海では、演劇を通して継承の実践に取り組む。

鈴木 慧南(スズキ・ケイナ)

神奈川県横浜市出身、在住 1993年5月27日生まれ 現在21歳
大学で核問題に取り組むサークルに所属し専門家や他団体と協力しながら学習会や被爆者の証言を語り継ぐためのイベントなど積極的に企画、実施している。8月には広島・長崎を訪問し、資料館や被爆遺構などを巡り原爆について学ぶほか、被爆証言の聞き取りなどにも取り組む。また、日本国内の若者に平和の問題をより身近に感じてもらうため「WHAT’S YOUR PEACE?」というプロジェクトに参加し、写真展を企画している。日々の活動で感じた今後の継承への危機感から、今回の航海は、国内の若者が核問題へ関心をもてるようなムーブメントをつくる他、海外の若者たちとの国境を越えたネットワークづくりを目的として参加を決意。

岩本 麻奈未(イワモト・マナミ)

大阪府堺市出身 京都府在住 1993年10月16日生まれ 現在21歳
幼少の頃より戦争の問題に関心が高く、書籍や写真集などを通して世界情勢や戦争・紛争について学んできた。2010年、「高校展」(大阪府高等学校美術・工芸展)に戦時中の様子を語る祖母を描いた絵画を出展し最優秀賞を受賞。以来、戦争下の子どもの表情や戦争でPTSDに陥った人をテーマに絵画などを制作。2014年、“次世代の継承 ”をテーマに20代の若者ら約100名を巻き込んで映像作品を制作。広島・長崎の原子爆弾の惨禍を若者自らが証言するほか、BGMやアニメーションなどで被爆者の思いを表現した。今回の航海では、芸術というツールを活かしながら、幅広い世代が核や戦争の問題を考えるきっかけをつくりたい。

いよいよ出港まで2ヶ月を切り、参加者の皆さんもたくさんの期待、そして少しの不安で心が溢れていることと思います。わたしたちも一緒に、これからも彼らの応援していきましょう! 

第8回 「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」
◇プロジェクト概要はこちら
◇参加被爆者およびユースの略歴はこちら

(ピースボート・インターン, エバンズ 亜莉沙)

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