1.ヒバクシャ証言の航海

ノーベル平和賞へ敬意を込めて@アイスランド

みなさん、こんにちは。おりづるユースの浦田沙緒音です。

 

今回の寄港地は、アイスランド・レイキャビクです。

ここでは、レイキャビク市役所にて市民向けの証言会を行いました。

レイキャビク市議会議長のライフ・マグロウティルさん、在アイスランド日本大使の北川靖彦さん、ピースボート共同代表でもあり、今年のノーベル平和賞を受賞したICAN国際運営委員の川崎哲さんも参加されました。

市民の方は約20名ほどいました。

 

198610月、米国のレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長による冷戦終結のための会談が行われたのが、ここレイキャビクです。

当時米ソは、互いに弾道迎撃システムを制限するABM条約などをめぐり対立していましたが、会談の中で「核兵器全種を全廃する」という提案が議論されていたのです。

この核兵器全廃案は合意に至りませんでしたが、この議論が翌年のINF条約(中距離核戦力全廃条約)調印へと繋がりました。そして、1989年の冷戦終結以後の米露間のSTART(戦略兵器削減交渉)という核軍縮プロセスのスタート地点となったのです。

アイスランドは、1949年からNATO(北大西洋条約機構)の加盟国として、米国の「核の傘」の下にある国にもかかわらず、核兵器の非人道性に関する共同声明に賛同している数少ない国の一つです。

しかしながら、アイスランドは核兵器禁止条約の交渉開始決議には反対し、交渉会議には参加していないという現実もあります。

アイスランドはそういった姿勢ではありますが、レイキャビク市は2010年に平和首長会議に加盟し、第8910回と続けておりづるプロジェクトを受け入れてくださっています。

 

 

会が開始し、まず最初は市議会議長のライフ・マグロウティル議長 さんから、開会の辞とともにICANがノーベル平和賞を受賞したことは、核廃絶への賞賛だということ。そして、ここアイスランドにも核廃絶のために動いている人々がいることが伝えられ、『平和は戦争を止めるだけでなく不正、抑圧を正すものである』という言葉の紹介がありました。

 

 

 

次に、在アイスランド大使の北川さんからお話があり、日本は(戦争時)唯一の被爆国であり、国内では核なき世界への活動と被爆者の証言、そして核兵器の悲惨さを伝えている方々の存在を伝えられました。そしてICANは多くの人に称えられることもお話されました。

 

※北川大使のご挨拶

 

ピースボート共同代表の川崎さんからは、まずICANのノーベル平和賞受賞について、とても驚いているとともにこの動きに関われていることを嬉しく思い、そして被団協を始め被爆者の方々の存在が実現に大きな存在となった、ということが紹介されました。核兵器禁止条約は、世界のすべての国に進めていかなければいけないこと、日本政府にもアイスランド政府にもこの思いが届けられることを願うと訴えかけられました。

 

※川崎よりノーベル賞授賞と禁止条約の説明

 

そして、被爆者の木村さんがお話をされました。

89日に自分自身が見たもの、昨日まで遊んでいた友だちが原爆症を患い、数日後には亡くなっていくという現実、次は自分じゃないかという不安。そして、自分の子どもから「私は被爆二世?」と言われた時、体に冷たい水を浴びるような気持ちになったこと、自分が証言をしていくことで子どもたちが差別されるかもしれない不安を抱きながら、それでも核兵器をなくすために、そして再び被爆者を増やしたくないから証言しているといったことをお話しされました。

 

※証言を語る木村さん

 

その後、ユース非核特使である私から、今現実的にできることとして行なわれているヒバクシャ国際署名の紹介、そして署名のお願いをさせていただきました。

 

※おりづるユース浦田さんによる署名のお願い

 

会場からは「アイスランドとして何ができるか?」「日本が核兵器禁止条約に参加していないことをどう思うか?」といった質問が投げかけられ、またレイキャビク市民としてこのイベントに参加できたことをとても嬉しく思うこと、これからも一緒に活動をしていきたいというコメントや、今回のICANの受賞は被爆者に贈られたものだと思うといった言葉もありました。ヒバクシャ国際署名も多くの参加者に賛同していただけました。

 

証言会後は、木村さんや川崎さんへ現地のTV局からの取材もあったので、レイキャビクで放送されることで、多くの方に木村さんの被爆体験が伝えられたら嬉しいです。

 

それ以外に印象的だったのは、証言会に伴ってロビーなどに原爆の被害や状況を伝える写真や資料として、「原爆と人間」のポスターを展示していたところ、市役所を訪れた何人もの方が立ち止まって見ていたことでした。

証言会に参加された市民の方以外にも、広島、長崎に原爆が投下されたこと、そして被爆者の思いが少しでも伝わったのではないかと思います。

 

夕方は船内に戻り、日本語を学ぶアイスランドの学生のみなさんに証言会を行いました。今回初めて被爆証言を聞いた若者が多く、質疑応答では「なぜ被爆者に対して差別があるのか?」「アメリカに対してどう思うか?」といったことや「原爆が落とされた後どうやって生活をしていくことができたのか?」と原爆投下後の状況を尋ねる質問が多くありました。

「当時のことを鮮明に覚えているわけではないけれど」と木村さんは当時のことをゆっくり思い出しながら、学生のみなさんにお話しされました。

また、アメリカのことをどう思うか?という質問には「憎いとは思う、でもそれだけでは何も変わらないし、アメリカという国や人間が憎いのではなくて、原爆そのものが憎いんです。」と改めて核兵器廃絶を訴えました。

 

※木村さんの言葉に真剣に耳を傾ける若者たち

 

アイスランドは、核兵器禁止条約の交渉には反対し、条約そのものの賛否は棄権しましたが、首都であるレイキャビクを含め3つの市が非核を訴えています。例え国の姿勢が非核ではなくても、市民団体が国を動かすこともできるということは、これまでの社会活動を見ていくと明らかではないでしょうか。それは、私たち市民にとって大きな希望だと思いますし、第8回クルーズからおりづるプロジェクトを受け入れてくださっているレイキャビクは、被爆者のみなさんにとっても大切な存在だと思います。

 

※今回参加した若者たちみんなで

 

今回は、証言会以外の時間でレイキャビクの街を散策し、ハットグリムス教会にも行くことができました。多くのスケジュールの中、木村さんに楽しめてもらえたみたいなので、私としても嬉しい限りです。

 

【追記】

今年のノーベル平和賞をICANが受賞されたこと、私も大変嬉しく思います。木村徳子さんも大変喜んでいますし、寄港地でも今回の受賞に関して、これは被爆者や核実験の被害者に贈られるものだというコメントもたくさんいただきました。

未だに、核兵器は15,000発あります。

その数字が0になるまで、全ての核が全廃されるまで私たちは、被爆者や被害者の意思を語り継いでいく責任があると私は思います。

今回の受賞を受けて、次の核廃絶に向けての動きを作っていくためにも、寄港地や船内で木村さんの被爆証言を多くの人に聞いていただき、核廃絶を一緒に考えていきたいと思っています。

 

おりづるユース 浦田沙緒音

 

撮影:水本俊也

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