皆さん、こんにちは。ピースボートの野口香澄です。
4月1日に第100回クルーズが帰港し、その後1週間は渡辺淳子さんの証言会ツアーが行われましたので、ご報告します!
渡辺淳子さんは現在ブラジルに住んでいる淳子さん。日本にも年に1回のペースで来ていますが、日本で、またご自身が被爆した広島という地でご自身の体験を話すというのは今回が初めてでした。
広島での証言会
4月3日は広島のひとまちプラザにて証言会を行いました。
約60名近くの人々が会場に来ていただきました。
今回の証言会では証言だけではなく2012年にブラジルで公開されたドキュメンタリー映画「ブラジルに生きるヒバクシャ」(ロベルト・フェルナンデス監督作品/日本公開版演出・編集:有原誠治)の上映も同時に行いました。
渡辺淳子さんは2歳の時に広島で18㎞地点で黒い雨を浴びて被爆をしました。
黒い雨を浴びた淳子さんは下痢で苦しんだそうです。奇跡的に生きることが出来た淳子さん。その後25歳の時にブラジルに「花嫁移住」という政策でブラジルに渡りました。38歳の時、日本に里帰りをした際にご両親よりご自身が被爆者であることを聞かされました。
その後60歳を機にブラジルの平和被爆者協会に入り、被爆証言を話し始めました。
とはいえ、当時はまだ記憶のある被爆者が多く、2歳で被爆し記憶のない被爆者である淳子さんにとっては、まだ本格的に語れる状態ではありませんでした。
しかし、年々、記憶のある被爆者がいなくなり、記憶のある被爆者の話を聞ける今、話を聞き、それをご自身の体験と共に継承し続けるべきなのではないかということで精力的に被爆証言を伝えるようになりました。
ご自身の体験を涙を流しながら語ってくれました。
今回、おりづるユースとして乗船していた森山景さんも地球一周を通して、多くの方々と出会い、感じたこと、思ったこと、そして、継承していく若者として船内で行ってきたことを話していきました。
東京での証言会
4月5日は東京のピースボートセンターとうきょうにて被爆証言を行いました。
東京でも広島同様に「ブラジルに生きるヒバクシャ」の映画上映を行いました。
東京でのイベントでは映画の日本語版を製作・編集をした有原誠治さんも招いて行いました。
この映画で日本語版を作るきっかけなどお話をしてもらいました。
そして再び淳子さんの証言です。
淳子さんは方言をする際に佐々木禎子さんの話もします。
佐々木禎子さんも淳子さん同様に2歳の時に被爆をしました。
白血病になり命を落としました。
淳子さんは涙ながらに同じ年齢で被爆したのになぜ私は生き延びることが出来、禎子さんは生きられなかったのかと話をしてくれました。
淳子さんの涙ながらに熱く語る姿に聞いている人々も一語一句聞き逃さないように聞いていました。
ユースの森山景さんも実際に船内で行った演劇の映像を見せながら船内の人々を巻き込んで意識を変えていく難しさもありやりがいもあった日々の話をしてくれました。
ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会茶話会
4月6日はノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会が主催とする茶話会に参加をしていきました。
10名ほどの参加者でしたが、近い距離だからこそ淳子さんを身近に感じられたと思います。
約1週間という日々の中で淳子さんと出会った方々が少しでも被爆者の想いをくみ取り自分にできる継承の一歩を踏んでもらえたらと思います。
【メディア掲載情報】
テレビ新広島 2019.4.4付け 在ブラジル被爆者の女性が初証言「伝える人がいなくなる…」
http://www.tss-tv.co.jp/tssnews/000003404.html
朝日新聞 2019年04月10日
(核といのちを考える)記憶なくとも、継ぐ思い 在ブラジル被爆者らピースボート報告
毎日新聞 2019年4月11日
講演
被爆証言、平和のために 在ブラジル・渡辺さん、広島・中区で /広島
https://mainichi.jp/articles/20190411/ddl/k34/040/471000c
しんぶん赤旗 2019年4月16日
きょうの潮流
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-04-16/2019041601_06_0.html