日本一周クルーズ最後の寄港地である石巻に訪れ、音楽家である吉俣良さんを船内にお招きし被爆ピアノコンサートを行いました。
東日本大震災をきっかけに設立したピースボート災害ボランティアセンター (https://pbv.or.jp/) は石巻のみなさんと共に歩んできました。そんな石巻への寄港は、直接PBVに関わっていない私でも、ずしんと胸に来るものがありました。
石巻入港時、朝早かったにも関わらず大きな大漁旗で迎えて下さいました。そして船内では石巻のみなさんをお招きし、舞台「イシノマキにいた時間」と被爆ピアノコンサートが行われました。
コンサートではまず、明子さんのピアノについてのビデオを見て頂きました。
「ショパンを愛したピアノ Akiko’s Piano」牛田中学校放送部・作
https://www.youtube.com/watch?v=0FXZuj1oSys
ピアノの現在の持ち主である、HOPEプロジェクトの二口さんは石巻の方々に会いたいとおもっていた旨を伝え、そして明子さんがどのような人生を歩み、原爆投下の翌日1945年8月7日にどのように人生を終えられたのか説明して下さいました。そして最後に、「若い人たちに原爆のことを受け継いでいきたい。そのひとつが、この被爆ピアノによるコンサートだとおもう」と語って下さいました。
吉俣良さんは最初に「冷静と情熱のあいだ」を弾かれ、「この世にこのピアノが残ったことは、なにか後世の人に意味のあることなのだと思う」と話されました。

そしてドラマ「Dr.コトー診療所」と大河ドラマ「篤姫」のピアノバージョンを弾いて下さいました。

「篤姫」の曲を演奏後、吉俣良さんはご自身のことを話して下さいました。長崎被爆2世だった年の離れた従兄弟が、15歳で亡くなったことが「原爆」を身近にし、そんな「原爆」にあったピアノを石巻で弾くことができるのはとても意味深く思うと述べ、鎮魂の想いを込めて最後に石巻の光景を見て作った「願い」を弾いて下さいました。
被爆するまでは明子さんが好きだった普通のピアノだったものが、こうして74年経って多くの人々を引き寄せ繋ぎ合わせているということを本当に肌で感じた、締めくくりの石巻でした。
残念ながら石巻の街を歩くことは叶わず、震災の傷跡をゆっくりと見つめ、そして想いをはせるということはできせんでしたが、船から見える目の前の石巻の街が「あの日」どうなったのか、そして石巻の人々が「あの日」からどうやって何を抱えて生きて来られたのかを船内から考えました。
またゆっくりと、そしてこれからも震災とその後の復興、記憶を紡いでいくということを見つめていきたいと思います。
最後に、演奏してくださった吉俣さん、この明子さんのピアノを通して平和教育をしている二口さん、被爆したこのピアノを修理して演奏可能にした調律師の坂井原さんがピアノと共に記念撮影。

そして、ピアノに興味津々な石巻のみなさん。

おりづるユース:安藤真子